仲間とともに生きていく〜「訪問の家 朋」を引き継いで(横浜市栄区)

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みなさんは障がい者の生き方について考えたことはありますか?

横浜市栄区にある「訪問の家 朋」は、「重度の肢体不自由」と「重度の知的障がい」を重複して持つ重症心身障がい児者の方が通う施設です。昭和61年、まだ重症心身障がい児者の通所施設に関する法律が制定される前、時代を先駆けるように「訪問の家 朋」は生まれました。今回はその四代目施設長である庄司七重さんにお話を伺ってきました!(2015年2月時点の情報です)

「プラマイプラス」の職場

庄司さんが朋に出会ったのは25年前、夜間の福祉の専門学校に通っていた時でした。たまたま朋で働いていた先輩に出会い、アルバイトとして朋で働くことになりました。

「メンバーさん(朋に通っている障がい者の方々)と一緒にやることなすことすべてがすごく楽しかったんです。食べること、身辺のお手伝いに加えて、言葉ではない形で自分の思いを一生懸命表現していること全てにおいて。生きること一つ一つのことが当たり前じゃなく、とても尊いものだなあと心に響きました」。

メンバーさんの健康状態の悪化など、辛いことももちろんたくさんありました。でも、「あ!今これに対して笑ったんだ!」と気持ちの共有ができたときや、メンバーさんが見せてくれる笑顔一つ一つに共感するとき、「ここはプラマイゼロでなく、プラマイプラスになる職場だ。ここでみんなと一緒にいたい」と思ったそうです。「このまま朋で働かないか」と誘われて、庄司さんは朋の正式なスタッフになりました。

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朋への熱い思い

庄司さんの学生時代は、昼間の朋でのアルバイトと夜間の学業を両立させ、かつバレーボールや演劇のサークルに参加するというハードなものでした。「一日がもっと長ければいいのに!と思うぐらいとても楽しかった!」と語る庄司さんは、現在もパワフルに仕事と向き合っています。その原動力となる二つのポイントについて伺いました。

一つは、メンバーさんや周りの人のための朋への思いです。「課題はたくさんあるけれど“そこにいられる”ことの大事さを守っていきたい。メンバーさん本人だけでなく、その家族など、朋での時間を大事に思ってくれる人たちの希望を叶え、朋が心地の良い場所としてあり続けたい。」という気概が、庄司さんを常に突き動かしているそうです。もう一つは、他の職員さんの存在です。自分ひとりではできないことを、職員みんなで考えながら作り上げていく、仲間の姿勢に励まされると言います。

目標は最初から定めなくても

仕事に対して「大変」「辛い」という気持ちは持っていないという庄司さん。自分がやりたいことをやっているだけ、仕事は自分そのものであると、お話ししてくださいました。やりたいことを仕事にする、それは早い段階で将来の目標を見定めた人にのみ可能なことのように思われます。しかし、庄司さんは必ずしもそうではないと言います。庄司さんは最初からこの道を志していたわけではなく、偶然この世界に入るきっかけと巡り会い、そして惹き込まれました。

「いろんなことをやってみるといいと思います!」知らない世界だからこそ興味を惹かれ、のめりこむことができるのも事実です。「違和感を覚えたらまた進路変更すればいい」と、将来への焦りを感じる学生に力強いメッセージを送ってくださいました。その一方で、腰を据えて自分の仕事に取り組むことも大事だと言います。2〜3年では見えてこなかったことも、10年経つと自分の価値観や見え方の色味が変わってきて、それこそが仕事の醍醐味であると。

キャリア25年のその先へ

朋一筋で25年間働いてきた庄司さんは、今年の四月に施設長になり、組織全体の管理者という統括的立場になりました。「障がいがあるとどうしても生きる上での選択肢が限られてしまう。暮らす場所や人間関係が限定される中でも、積極的に「自分の思いや希望」が見つけられ、それを一緒に考えたり叶えたりしていく朋でありたい。暮らしていて良かったと思える場所を、障がいがあってもなくても求め、選べる環境を整えたい。やりたいことがそのまま仕事となり、時と共にそれがもっともっとやりたいことになっている」次の目標に向かって、庄司さんの奮闘はまだまだ続きそうです!

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取材を終えて(学生記者:藤田藍子)

庄司さんを取材させて頂こうと思ったきっかけは、朋の設立者であり、現在は栄区の社会福祉協議会会長を務めてらっしゃる日浦美智江さんとお話する機会を頂いたことでした。日浦さんを朋創設に向かわせた情熱や奮闘のエピソードをここに書き出すとキリがありません。(『笑顔のメッセンジャー 私が私でいられるしあわせ』日浦美智江著 文芸社 をぜひお読みください!)お話の中で日浦さんがおっしゃっていた「この人生で良かった、と思える人生にしてあげたい」という意思は、庄司さんの「ここにいたいと選べる場所を」という言葉の中に着実に受け継がれていることを感じました。

重症心身障がい児者という、とても重い障がいを持つ方のお世話をするというのは、特に精神的にとてもキツいものであり、どうしても「大変」という印象を第一にもってしまいました。しかし庄司さんは終始笑顔で、メンバーさんとの関わりを「楽しい」とおっしゃっていました。自分が本当にやりたいことに出会えたら、庄司さんのように生き生きと何事にも取り組めるのだろうなあ、と憧れました。私も、そんな世界と出会うべく、様々なことに挑戦していこうと思えました!


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About Author

藤田藍子

慶応義塾大学法学部政治学科1年。横浜市保土ヶ谷区に生まれ、小学校1年生の時に帰国するまでの幼少期をラオスとケニアで過ごしました。中高は6年間鎌倉に通い、今でも2ヶ月に1回は鎌倉に馳せ参じないと落ち着かないぐらい鎌倉が大好きになりました(笑)。趣味は、ピアノ、マンドリン、読書(好きな作家は北村薫と西加奈子)、映画鑑賞、ペットの犬と猫をかまうことです。現在大学では、ギターサークルとアジアの法学部生がディスカッションを通し、国際交流をするサークルに所属しています。

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  1. Pingback: ハナジョブダイジェスト<3月>|NPO法人ハナラボ

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