弁護士として日本の「ファッションロー」を牽引している海老澤美幸さん。実は、ファッション雑誌の編集者やスタイリストとして働いた経験が弁護士の仕事に生きているとのこと。
今まで経験してきたお仕事や、新しい分野に取り組むことの面白さなどを熱く語っていただきました。
現在のお仕事内容を教えてください。
弁護士として都内の法律事務所で働いています。ファッション業界に関するご依頼を受けることが非常に多く、依頼者はアパレル企業やデザイナー、PR会社、モデル事務所など幅広いです。裁判をしたり、契約書を作成するなど仕事内容は多岐に渡ります。2018年に「ファッションロー・トーキョー」というファッション関係者向けの法律相談窓口を立ち上げ、業界の方々からの法律相談にも日々対応しています。
今年初めには、所属事務所内に、ファッションローに特化した専門チーム「ファッションロー・ユニット」を立ち上げました。今後、ファッションローに関するさまざまなプロジェクトを始動する予定です。
わきあがる情熱に突き動かされ、官僚からファッション業界へ
今までのキャリアについての質問です。
総務省(旧自治省)に入庁されたものの1年で辞め、宝島社でファッション誌の編集者になったとのことですが…。
元々ファッションが大好きで、ファッション業界になんらかの形で関わりたいと強く思っていました。そのため大学時代のアルバイト先にはファッションのセレクトショップを選び、値付けの仕方など、ファッション業界の基本的な知識をいろいろ教えていただきました。非常にいい経験でしたね。ただ、ファッション業界をちょっと見ることができたことで、いったんファッション熱は落ち着いたんですよね。気づいた時には民間の就活がほぼ終わってしまっており、どうしようと思ったら、まだ公務員は間に合ったんです。公務員なら安定しているし、女性が1人でもちゃんと食べていける。大学では法律学科だったこともあって、官僚を目指し、新卒で自治省(現在の総務省)に入庁しました。
自治省での仕事にはやりがいを感じていたのですが、むくむくと湧き上がるファッションへの情熱に突き動かされ、1年後には自治省を辞めて宝島社に入社。「SPRiNG(スプリング)」という女性向けのファッション誌の編集者として働き始めました。スタイリストやカメラマン、モデルをブッキングして撮影する毎日は楽しかったです。一方で、実際に服を選ぶスキルを持つ、スタイリストの側面も持つ編集者になりたいと次第に思うようになりました。
そこで、4年間働いた宝島社を辞めた。
そうですね。そして、スタイリストとしての知見を深めるためロンドンに飛びました。ロンドンを選んだ理由は、高校時代に短期留学をしたこともあり、「長期間滞在してみたい」と前から考えていたから。在英中には、ファッションを学べる大学に入学し、授業は有意義で面白かったのですが、もともと現場の編集者として働いていたこともあり、とにかく「現場を知りたい」という思いを強く持っていました。そこで、早い段階からロンドンでアシスタント先を探し始めました。
海外で職探しは非常に難しそうですが….。
当時は今のようにメールもSNSも盛んではなかったので、ロンドンの主要なスタイリストが掲載されている電話帳片手に手当たり次第履歴書を送ったり、雇ってくれそうな人を知らないか周りの友人たちに尋ね回りました。そうしたら幸運にも、友人の紹介で、デザイナーやスタイリストとして幅広く活動しているマルコ・マティシック氏のもとで働けることになり、彼のアシスタントとして撮影やデザインの仕事を手伝い始めました。
英語でのコミュニケーションは正直大変でした(笑)。ですが、パリコレやミラノコレクションのバックステージにも連れて行ってもらえるなど、非常に充実した1年半を過ごしました。本当にいい経験でしたね。その後帰国し、ロンドンでの経験も生かしながら、フリーランスのファッションエディターとしていろいろな雑誌やカタログで仕事をしました。
なぜ弁護士に転身したのでしょうか?
弁護士になろうと思ったのは、「ファッション業界の労働環境や法律問題、権利意識などをどうにか改善したい」と考えたことがきっかけです。私自身、10年以上ファッション業界に身を置く中で、法律の観点から改善できる問題に何度も直面してきました。そのうち、自分が法律学科出身だったことに気づき、「自分が弁護士になって業界をよりよくできるのでは」と思い立ったんですね。そこで仕事を辞め、ロースクールに入学。勉強には苦労しましたが、なんとか司法試験に合格し、弁護士になりました。
「やりたい」と思ったらすぐに行動してきたのですね。
そうですね、思うがままに進んできました。行動にうつす前に、どうなるかわからない未来を悲観的に考えることは少なかったです。とは言え、周囲を混乱させてしまったことがなかったわけではありません。官僚を辞めたと伝えた際には、親からFAXが大量に送られてきたこともあります。読むと泣いてしまうので、今でも読めていませんが(笑)。官僚を辞めるという決断は、両親には本当に衝撃的だったろうと思います。ですが渡英や弁護士への転身の際には、全面的に応援してくれました。本当にありがたいことです。