「移住」という行為にスポットが当たった記事が世間に多い中で、「そもそもどんな目標の手段として移住が機能しているのかを知りたい!」という思いから、埼玉から長野の農村へ移住した西澤仁美さんにインタビュー。集落支援員として働く西澤さんの「田舎暮らし」という言葉からでは見えてこない個人の人生の選択に迫ります。
「もっと知りたい!」日々の活動の先にあった移住という選択
日々どのようなことをなさっているのでしょうか。
長野県の北にある木島平村という農村の役場で、集落支援員として移住や定住の推進、空き家バンクの運営や学生連携などに携わっています。
その他にNPO法人「太陽と水と緑のプロジェクト」の理事や「みどりのたね」という個人商店の従業員などをしています。
たくさんのことをやられているのですね。どのように両立していらっしゃるのでしょうか。
メインの仕事は集落支援員で勤務時間が決まっているので、時間の使い分け方としては都会で働く場合とあまり変わらないと思います。NPOでの活動はそれ以外の時間で取り組んでいます。
ただ仕事やNPOの活動内容が、生活に根ざした「地域」と関わることが主なため、私生活と仕事の境界は曖昧です。それ自体を負担に感じることはないのですが、「これは公的な業務か?」という点は必ず意識をして区別をするようにしています。
なるほど、仕事をする上で、田舎ならではの良いところややりづらいところはありますか?
どちらも挙げきれないほどたくさんあります。
田舎ならではといえば、人との距離の近いが故に、田んぼのあずまやでオンライン会議をしている時に、仕事をしていると思われなくて道端から話しかけられたり、自宅の通信環境が時間帯によって乱れたり、仕事環境に関しての個人的な課題はあります。周りに同じような働き方をしている人があまりいないので、最近では「こういう仕事の時はここで」というような自分なりの型を経験から作るようにしています。
良いところでは、リフレッシュのしやすさは大きいですね。ちょっと休憩しようと思ったらすぐ外に雄大な景色が広がっているという環境は、本当に贅沢だと思います。
リフレッシュしやすい環境というのは複数の仕事をこなすには特に良さそうです。移住を機に今のような複数の活動に取り組み始めたのですか。
そうですね。もともと、「太陽と水と緑のプロジェクト」というNPOの活動を通して木島平村とご縁ができました。そうして外から関わる内に「実際に住んでみないと分からないことがある!」と痛感して、そう感じていたタイミングで見つけた地域おこし協力隊に応募をして移住をしました。その後、新たに地域の仕事が加わり今に至ります。
ですので、移住の直接的なきっかけは地域おこし協力隊です。あまり深くは考えずに直感で「やってみたい!」という思いから参加しました。
首都圏からの地方移住は昨今話題ですが、西澤さんにとって移住は「知りたいことを知るための手段」だったのですね。
はい。地域おこし協力隊の存在自体はドラマで観てなんとなく知っていました。その時はそんな人たちがいるんだな程度に思っていて。まさかのちに自分が実際に参加するとは思っていませんでした。移住に関しても、移住したことを大学時代の友人に伝えたときに「そういえば農家の嫁になりたいって言っていたもんね。夢叶ったね。」と言われて、そんなことを言っていたんだっけと思ったくらいです。
西澤さんにはNPOの活動が大きな影響を与えているように感じます。
そうですね。言われてみれば確かに、「一緒にNPOを立ち上げないか」と今の代表から声をかけてもらったことが大きかったです。その代表というのが実は私の高校時代の恩師で、退職された後にインドのスラムで教育支援の活動を始められたんです。
そして恩師から「活動をやめるか、法人化して続けるかを迷っている」と相談を受け、1ヶ月間代表と一緒にインドに行ってその活動を見てから決めることになりました。
いきなり1ヶ月間インドへ行くというのは急な話ですね。
確かにそうですね。私は誘われたらあまり断らない方です。以前にもその恩師の誘いでインドの方と関わったり海外へ行ったりした経験があったので、精神的なハードルは少し低かったかもしれません。何よりせっかくの活動がなくなってしまうのはもったいないと思い、NPO法人の共同設立を決めました。
人の縁を大切に、積極的に繋がりを作っている印象を受けました。昔からそういったことを意識されていたのですか。
はい。はっきりとは覚えていないのですが、そう意識するようになったのもその恩師が影響しているのかもしれません。時間は有限ですので「もう一生会えないかもしれない」「もう一生こんな機会はないかもしれない」、そういったことはいつも頭にあって、選択の基準になっています。
最近は、単に人脈を増やすというよりも、同じ信念を持った人と繋がりたいという思いが強くなっています。NPOの活動や、地域のことを紹介するためにインスタグラムなどを使っているのですが、既存のつながりがさらに強くなったり、同じ関心を持つ人と繋がることができたりすることはとても魅力的です。発信していてよかったなと思います。
「どんなおもしろいことをしようかな」楽しく暮らすことで、関わった人まで元気になれる存在を目指す。
しなやかで力溢れる半生だと思いました。西澤さんがしなやかでいるために特に意識していることはありますか。
特に意識していたわけではないのですが、その時々の目的意識や問題意識に合わせて常に行動していたと思います。「こんなことやりたい」とか「こんなことが世の中に必要なんじゃないか」とか、そういう気持ちに素直に向き合ってライフステージに縛られずに環境や自分の選択を変化させてきました。
学生時代はどんなことをやりたいと思って動いていたのでしょうか。
学生時代は毎日「どんなおもしろいことをしようかな」と考えていた気がします。同時に「できることはなんでもやってやろう」と張り切っていて。研究会やサークルなど大学ならではの環境に身を置いて、何かの機会に恵まれたときには断らずに引き受けていました。何かやりたくないと思うことも、のちのち何かにつながるかもと思って。そう思ってやったことも、嫌だ苦手だと言いつつ、最終的にはそれぞれ何か形になって繋がっていると今は思います。
「いつかどんな経験も役立つ」ということでしょうか。
はい。でも「あのときもう少し熱心にやっておけばよかった」というような後悔をしたこともあります。ですが、その後悔だって少しでも経験をしたから感じることで、むしろあの時少しでもかじっていたからもう一度人生の中にそれをやる機会が現れてくれたのだと捉えるようにしています。
地方に移住してから「経験は本当に何一つ無駄にはならない」と思えることが増えましたね。
なるほど、しかし「いつか」というだけでは私はなかなか気が持ちそうにありません…。でも、「おもしろいことをしたい」というのが根底にあったのならば、断らずに引き受けるという姿勢には「やってみたら意外と楽しいかもしれない」という思いもあったのでしょうか。
そうだったかもしれません。「おもしろいことをしよう」とか「楽しく暮らす」ということは今でも大切にしている感覚です。家族との日々の暮らしを楽しいものに、というのはもちろんなのですが、そこから広がって私や私の家族と関わったことで元気になったって言ってもらえるような存在。ポジティブな空間を増やしていける存在になりたいと思っています。
西澤さんはどのような人と関わると元気をもらえますか。
それこそ地方にはそういう魅力を持った方がたくさんいると私は思います。
世の中大変なこともたくさんあるし、失敗もある。それでも楽しそうにしている人はやっぱりパワフルで、失敗談すら楽しそうにお話してくれる。失敗もおもしろく聞こえてくるんですよ。
そんなふうに楽しく生きているように見える人と関わっているとこっちまで楽しくなってきて、人生おもしろいなって元気をもらえます。
とはいえ、楽しいばかりじゃいられないときもあります。不確定な先のことを考えたり失敗したりして気持ちがふさぐこともあります。
そんなときは、どう自分と向き合っていらっしゃるのでしょうか。
考え方や捉え方を変えて、自分で自分の機嫌を取るようにしています。そのためのアイデアやツールを増やしていくことで、人生が豊かになるのではないかと思います。
私の場合は「その悩み、80歳になっても覚えている?」と人に言われたことをよく思い出しますね。嫌なことがあったときは「この悩みは80歳になったらきっと忘れているだろうから忘れようかな」と気持ちが切り替えられるようになりました。
最後に学生へのメッセージをお願いします。
心が軽くなるような考え方のアイデアやツールを増やしていって、落ち込んだときは、それらを使ってポジティブに思い直してみてください。友人や家族との会話とか、映画とか漫画とか、日常に意外と転がっているので、普段から意識を向けてみることもおすすめです。
あとはやっぱり、気が乗らなくても食わず嫌いをしないでなんでもやってみること。後で何かの役に立つ、と思ってやった方がきっと楽しいですよ!
取材を終えて
考え方をツールとして所有し獲得していくという考え方はそれ自体にも学ぶところがあると感じます。キョウさんの取材も思い出しつつパラレルキャリアの多様さを実感しました。
西澤さん、ご協力ありがとうございました。
西澤 仁美 (にしざわ ひとみ)
地域おこし協力隊をきっかけに2017年に埼玉県から長野県木島平村に移住。集落支援員として移住の推進や学生連携支援などを行うほか、村を知るきっかけとなった NPO法人「太陽と水と緑のプロジェクト」の理事、商店「みどりのたね」の従業員など複数の活動を行っている。
写真提供:西澤さん