千葉県にある国府台女子学院高等部で英語の指導をされている米川理恵さんは、学生にとって最も身近な社会人である「教員」としての顔だけではなく、子どもにとって一番身近な存在である「母親」の顔も併せて持っていらっしゃいます。今回のインタビューでは、「教師として」「母親として」米川さんがどのような思いでそれぞれに向き合ってきたのかを伺いました。
憧れの職業から現実の職業へ。褪せない教師という仕事の魅力とは。
現在のお仕事について教えてください。
私立の中高一貫の女子高で、英語の教師をしています。本校は普通科とは別に英語に特化した英語科というコースがあり、私はそこで高校3年生の担任をしています。大学受験に向けて特別講座を受け持つこともありますし、マンドリン部の顧問として活動することもあります。
なぜ教師を目指されたのですか。
大学時代に塾講師と家庭教師のアルバイトをしていたときに、人に教えることが楽しいと思ったのがきっかけです。生徒たちと一緒に学校行事などを楽しめる点に魅力を感じたのと、高校受験のときに当時の担任の先生が親身に相談に乗ってくれたことが印象的だったので、学校の教師になりたいと思いました。また、両親、祖父母、曾祖父が全員教師だったので、昔から教師という仕事が身近にあったことも影響していると思います。
では、なぜ他の教科ではなく、英語の教員を目指されたのでしょうか。
中学時代に塾に通っていたのですが、そのときの英語の先生の教え方がとてもおもしろくて、英語が得意科目になりました。それで、私も同じように英語を教えたいと思うようになりました。また、英語は自分の世界を広げ、世界中とのコミュニケーションを可能にするツールです。英語を教えながら、英語という言語自体の魅力を生徒に伝えたいとも思っていたのが理由ですね。
教師をしていてよかったと思える瞬間はどのようなときですか。
卒業生のその後の活躍を見られたときは、教師をしていてよかったと思います。6年間の学校だけの付き合い、ではなくて、卒業しても「看護師になりました!」など近況を報告しに来てくれたりして、関わった生徒たちが社会で活躍している姿を見られるのはとても嬉しいです。また、私の授業をきっかけに英語を好きになった生徒や、英語関連の仕事をしている生徒の話を聞いたときは、仕事を続けてきてよかった!と思いますね。
この仕事のやりがいは何でしょうか。
この仕事のやりがいは、人との出会いだと思います。中高一貫校の学校ですので、中学1年生のときに入学式で出会ってから、高校3年生で卒業するまでの思春期の6年間を一緒に過ごすことができるのは大きいですね。英語の教員ということもあり、生徒が英語を好きになってくれたときもとても嬉しいです。あとは、いろいろな人からたくさん「ありがとう」の言葉をいただけるのも、この仕事ならではのやりがいだと思います。
多感な時期の生徒をサポートできるのは、まさに教師という仕事ならではの魅力ですね。一方、仕事上の苦労などはありますか。
最近でいうとコロナ禍に入ったばかりの2020年4月から6月頃が一番大変でした。配信用の授業動画の撮影や、オンライン上での生徒面談など、生徒も教師も、初めての経験ばかりで右往左往していましたね。学校再開後も分散登校が続いたので、クラスの絆も深まりにくく、担任としてどうクラスをまとめていくか悩みました。そうした状況を改善すべく、同僚の先生方と何度も話し合いを重ねたのを覚えています。
また、ちょうどコロナが流行り始めた年の春に、卒業式を開けなかったことも辛かったです。中学1年のときからずっと受け持ってきた子たちの卒業式だったので、ぜひ開いてあげたかったなと今でも思いますし、私も楽しみにしていたので残念でした。
コロナの前後で、仕事に対して変化したことはありますか。
「できることはすぐにやろう」という姿勢に変化しました。コロナ禍になってから、いつ学校が閉じてもおかしくない世の中になりましたよね。急に明日から通常の授業ができなくなる可能性も十分にあります。ですので、今日伝えられることは明日に回さず、全部生徒に伝えてから帰ってもらおうという意識が非常に強くなりました。
子どもの存在が「働く母親」としての私を強くしてくれた
次に、子育てについてお伺いします。お子さんがいるからこそ得られたことはありますか。
保護者の方の気持ちがより一層分かるようになったことですね。娘はいま中1なのですが、やはり学校生活に不安があるみたいなのです。そういうときは私も娘の話を聞いて一緒に解決策を考えるのですが、そういうときに、保護者の方も同じ思いをしているんだなと気づきました。娘がいるからこそ、保護者の方により親身になって寄り添えるようになったのではないかと思います。
親身になって相談にのってくれる先生は、保護者にとってもありがたい存在ですよね。子育てをする中で、大変だったエピソードなどありますか。
赤ちゃんってよく夜に泣くんですよ。そういうときは夜中でも起きてミルクをあげるんです。そうすると寝不足のまま出勤することになり大変でしたね。 一番辛かったのは、娘が保育園児のときに3週間入院したときのことです。授業があるのでまとまった休みを取ることが難しいですし、夫も東京で働いていたので、日中は娘のそばにいてあげられませんでした。幸い、私の両親が近くに住んでいたので、日中は両親に来てもらっていました。私は仕事が終わったら病院へ向かい、夜は泊まり込み、朝になったら仕事へ行く生活が続きました。娘に寂しい思いをさせないよう皆で協力していましたが、「ママさみしい」と娘に言われたり、幼い娘に点滴の針が刺されるのを見たりすると辛くなりました。
お嬢様が入院されたのは、ちょうど私の担任をされているときでしたよね。当時のことは私も覚えていますが、確かに毎日大変そうでした。
大変でしたね。私は働く母親としてのリアルな姿を生徒に伝えたいと思っているので、普段から「今日は娘の参観日だからお休みします」や「明日は娘の入学式に参加します」など伝えるようにしているのですが、さすがにこのときばかりは、あまり仕事場に家庭のことを持ち込んではいけないと思って頑張っていました。
周囲の方と協力されて乗り越えられたのですね。
そうですね。入院のとき以外でも、近くに住む両親には保育園のお迎えなども協力してもらいました。家事に関しては、夫と協力をしながらこなしています。「今日は私が帰り遅いから、夕飯の支度をお願いね」みたいな頼み方をしています。あとはやはり毎日忙しいので、お掃除ロボットや、食器洗浄機のようなツールを活用しています。
「女性だから」にとらわれず、自分のやりたいことに挑戦してほしい
仕事とは別に、プライベートで楽しみにしていることはありますか。
私はお花が好きなので、きれいな花々を鑑賞したり、フラワーアレジメントをしていたりするととても楽しいです。あとは、まとまった休みに家族で旅行に出かけることも楽しみの一つです。この前は家族で京都へ行きました。教科書に載っているような寺社仏閣は一通り訪れました。やはり日本の文化は今後も家族で大切にしていきたいです。
もし今、学生に戻れるとしたら、何かやりたいことはありますか。
インターンに参加してみたいです!私の時代はインターンシップなんてなかったので、いろいろな仕事に挑戦したいですね。あと、旅行が好きなのでツアーコンダクターにも興味があります。でも一生続けられるかどうかを考えると、やっぱり最終的には教員に行きつくと思います。
最終的には教師になりたい、というのがとても米川さんらしいですね!では最後に、今後社会へ出る学生のみなさんにメッセージをお願いします。
これからの世の中は「女性だからこうあるべきだ」という風潮は薄れていくと思います。だからこそ、自分が本当にやりたいことに挑戦していってほしいです。あとは、人との出会いを大切にしてください。大学の友達や先輩など、とにかくいろいろな人を大切にしていると、また新たな出会いに恵まれていくような気がします。そうした人との関わりを大切にしながら、自分のやりたいことにチャレンジしていってください!
取材を終えて
米川さんは、私の中学高校時代の4年間を担任された恩師でもあります。明るくて優しくて生徒思いな米川さんは、誰からも好かれるとても素敵な先生でした。
インタビューしていくなかでもっとも印象的だったのは、お嬢様が入院されたときのお話です。「入院している娘のそばにもっと一緒にいてあげたかった」というお話には胸が痛みました。しかしそのような状況でも、学校ではそんな素振りも見せずに私たちに向き合って下さいました。改めて米川さんの芯の強さを感じたお話となりました。今回の取材では、卒業生と教師という関係より、お互い一人の女性として話しているという感覚があり、非常に感慨深かったです。米川さんのお話をしっかりと胸に刻み、今後社会に出たときの拠り所にしたいと思います。この度はお忙しい中お時間を取ってくださいまして本当にありがとうございました!
写真提供:米川さん
仏教の精神を礎とする『敬虔』『勤労』『高雅』の三大目標を掲げ、思いやりや慈しみの心を育てる教育に力を注いでいる小中高一貫の私立女子校。高い教養を持ちながら慈しみ深く、また明るく積極的でありながら礼節が整った女性の数多くは、卒業後も社会で活躍を続けている。