みなさんは、美術館や博物館の展覧会に行ったことはありますか? 実はその展覧会、新聞社が創っているものかも!? 今回は日本経済新聞社の文化事業部で働く伊藤さんにお話を伺いました。海外との交渉からお客様に届けるまで、多岐に渡る仕事を手掛ける伊藤さんの仕事のこだわりとは?
幼少期から馴染みのある美術に携わる道へ
現在のお仕事について教えてください。
新聞社の文化事業部で働いています。主に美術館や博物館での展示といった展覧会にまつわる業務をするお仕事です。新聞社の文化事業自体は1940年代後半ぐらいから始まったので、実は歴史が結構古いんです。展覧会の企画を美術館や博物館の人と一緒に作るところから始めています。西洋美術や日本美術、工芸などジャンルは様々です。
展覧会にまつわる業務は、作品をどのように輸送し展示するか、お客様にどういう風に宣伝をするか、会場の警備の配置はどうするかなど、多岐に渡ります。
かなり幅が広い業務内容でびっくりしました。これまでのキャリアはどのようなものですか?
美術系の大学で美術史を専攻していて、その後アメリカの大学院に2年留学しました。帰国後は企画会社に入り、海外から作品を借りてきて、日本の美術館で展示をする展覧会の仕事を4年程していました。その後、仕事の幅を広げたいなと思い、より大きな展覧会に携わることができる日本経済新聞社に入社しました。今年で18年目になります。
元々美術系の大学に行かれてたのですね。そもそも美術に興味を持ったきっかけはありますか。
両親が学校の美術の先生だったので、自然にという感じでしょうか。家に画集があったり、休みの日に美術館に行ったりなどは普通にあったので、小さいころから身近なものだったのかもしれないです。
そうなんですね。仕事ではどんなところにやりがいを感じていますか?
変化があるところでしょうか。企画によって作品や作品を借りる美術館の国が違うので、一つとして同じ展覧会がないんです。お仕事の流れみたいなものには共通性はあるものの、企画によってそれぞれの個性があるので、一つひとつアプローチを変える工夫をすることが楽しいです。
色々な人と働くからこそ、共通認識を持てる工夫を
今までで印象深かった企画はありますか。
そうですね、特に覚えているのは転職してすぐの頃に携わった浮世絵の展覧会です。作品の点数が5、600点ぐらいあったのですが、それが1ヶ所ではなく本当にあちこちから借りなければいけなくて。規模が大きかったので大変でしたが、海外担当ということもあり、たくさんの人と会えて面白かったです。
いろいろな人と会える。どういうことでしょうか!?
実は、作品を海外から運んでくる時は、美術館の人が作品を飛行機で持ってくるんです。ほとんどの場合は特別な梱包の箱に詰めたものを貨物として輸送するという流れなのですが、「クーリエ」という海外の美術館・博物館の人が大体1便につき1人付き添ってくるんです。
作品だけ送られてくるわけではないのですね。人がついてくるのは初めて知りました。
新聞社側が空港まで迎えに行って合流し、一緒に作品を空港の貨物エリアまで取りに行くということをします。例えば10ヶ所から作品を取り寄せる場合、何回も空港に迎えにいき、毎回違う人と会って作品を受け取るんです。お国柄やその人の個性なども違うので、ちょっとした話が面白かったり、たまにトラブルがあったり。その時は大変でしたが、後で思い返すと、色々なことがあったなと思い出になっています。
なるほど、人が絵とともに日本に来るのですね!
あとは、逆に日本美術を海外に持っていって紹介する仕事もありました。日本の美術作品をフランスに持っていったのですが、普段、日本の美術はフランスの美術館で観られるものではないので、美術館のかたは日本美術の作品の扱い方に慣れていなくて。日本だと説明がいらないような、温度・湿度などの環境設定や、作品にあった展示ケースの制作、作品の展示説明についてなど、細かいことを確認する必要があったんです。
共通認識がないことを実感した瞬間でした。一つ一つ確認して疑問やわからないことを洗い出し、共通認識を持てるまでコミュニケーションを取りました。大変でしたが、終わってみるとすごく手応えがありました。
いろいろな国や文化の人と関わる際に、共通認識を持つためにどんな工夫をされていますか?
まず相手の言っていることを理解しようと努力することです。こちら側も、まず何が問題なのかわからなかったりするので、何が問題なのかをきちっとわかるようにするのが大事だと思っています。粘り強くコミュニケーションを取って問題点や目的を細かく分解して、明確にする必要のある部分や解決するための選択肢を考えています。手間はかかりますが、お互い何ができて何ができないのかを整理して、解決できるところを探すことを心がけています。
では仕事を始めていろいろな人と関わりを通して、自分の中で変化した部分はありますか。
プロジェクトは多様な人と作り上げるので、多くの人が関わっているところできちっと理解してもらうために、あえて細かく前もって言うことを意識して曖昧な部分はなるべく残さないようにしています。お互いきちんと共通認識の上に立って仕事ができるように、言葉を多めに説明して、しつこいかなと思うようなところも確認することを心がけています。
ちなみに、学生時代の経験が大人になって活きていると思う瞬間はありますか?
そうですね、大学院時代、2年間アメリカに留学していた時の経験が仕事に活きていると思います。見知らぬ土地で1人で生活していて、急にトイレが壊れたり、トラブルが起きたりといったことは日常茶飯事でした。本当に言葉が通じなくて、大学の事務の人などにもなかなか話が通じなかったこともありました。伝えたいことがすぐに伝わらない経験や思いもかけないことが起きた経験を通して、コミュニケーション力やトラブルの対応力を学びました。
それが今のお仕事で、「きちんと伝わるまで共通認識を持つまで話す」という粘り強さに繋がっているのでしょうか。
そうですね、そこが原体験になってるのかもしれないですね。留学時代、これだけ考えや文化が違う人たちがいるんだなあと実感したのを覚えています。
人それぞれが感じ取る展覧会の価値。よりお客様の視点を取り入れるためにできることは
伊藤さんにとって展覧会とはどういう存在ですか?
私にとって、展覧会は素朴な「発見の喜び」がある場かなと思います。
実は、先日仕事で色々な年代の方に展覧会についてインタビューする機会がありました。そこで展覧会に行く頻度やどういう時に誰と行くかなどを調査したんです。インタビューした皆さん、すごく熱意があって「何か新しい発見がある」や「知的好奇心が満たされる」、「リフレッシュできる」など、それぞれの体験から「展覧会から自分が得ている価値」をお話しくださり、すごくそれに感銘を受けて。じゃあ自分はどうなのかなと振り返ると、新しいものの見方や、作家さんや作品を知ることができる、発見の場だなと感じました。
そうなんですね!ちなみに私にとってはストレス発散の場かもしれないです(笑)。
色々な捉え方がありますよね。コロナも経て、環境や生活様式も今までとは変わってきている中で、訪れるお客様側の視点をもっと取り入れていきたいと考えています。世の中でDX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉を聞かない日はないと思うのですが、展覧会というリアルの場を創る私たちも大事にしていきたいです。
デジタルの視点は、これまでは比重としてそんなに大きくなかったのですが、いろんなことを決める際、データの裏付けや現場の視点はすごく必要になってきているのだと思うようになりました。経験値はすごく大切なのですが、その経験値を裏付けるためのデータをどういうふうに集めて、それをどう解釈するのかというようなことを試行錯誤中なんです。
なるほど。今が転換期というか、チャレンジの時なのでしょうか。
そうですね。「作品の変わらない価値」というのはもちろんあると思うのですが、展覧会というものを作り上げるにあたっては、変えていかないといけないとこもあるという意味では今は転換期なのかなとは感じていますね。今後のキャリアビジョンとして、これからも現場の仕事をやっていきたいと思っていますが、デジタルの技術などを活用して仕事のやり方を変えることに挑戦したいです。
ではこれから同じような「展覧会をつくる」職業に就きたいと思っている学生にメッセージをお願いします。
すごく歴史がある仕事ではありますが、「変わらない、大切にしなきゃいけない部分」と、「どんどん時代に合わせて変えていかなきゃいけない部分」があると思います。大学の専攻に関わらず誰でも挑戦できる仕事だと思うので、型に囚われず、新しい今の時代でどういうものが求められているかという視点をどんどん持ってきていただきたいなと思います。
どんな人が向いていると思いますか。
遠慮せずに自分の意見を言える人でしょうか。あとは、もちろん残業が多いなどということはありませんが、出張や朝早く起きて作品を空港まで迎えにいくなど体力勝負な面もあるので、スケジュールに合わせて自分のマネジメントをできる人がいいかもしれないです。
人生の先輩として、学生時代にしたほうが良いと思うことがあれば教えてください。
学生には学校や家族など色々なコミュニティがありますよね。私はコミュニティに所属して自分のその場での役割や活動があることはすごく素晴らしいことだなと思っているので、どんどん積極的にそういう機会を求めて経験をしてほしいです。小さなことや大きなこと、どんなことでもいいと思うのですが、そういう経験が考え方の幅や色々な人との出会いに繋がっていくと思います。学生さんも忙しいと思いますが、がんばってください!
取材を終えて
美術展に行った際のポスターに新聞社の名前を見つけたことをきっかけに興味を持ち、新聞社の展覧会事業について取材させていただきました。インタビューを通して、想像をはるかに超えたお仕事の幅広さにとても驚きました。今回お話を聞いて、世の中には知らないお仕事がたくさんあることを実感し、キャリアや選択肢の可能性を感じました。これを読んでくれた皆さんにとっても、世界が広がるきっかけになってもらえたら嬉しいです!貴重なお話、ありがとうございました
写真提供:伊藤さん
「日本経済新聞」等の新聞を発行するほか、雑誌、書籍、電子メディア、データベースサービス、速報、電波、映像、経済・文化事業などを展開しています。
文化事業部では、美術展、オペラ、コンサートなど多彩な文化事業を展開し、文化創造の担い手として社会貢献しています。伊藤若冲をはじめ江戸時代の先鋭画家にフォーカスした「奇想の系譜展」、イスタンブールのトプカプ宮殿博物館が所蔵する貴重な宝飾品、美術工芸品を紹介した「トルコ至宝展」、現代一流の能楽師によるパリ公演などは大きな話題を呼びました。シンポジウムや産業・科学関連の展示会、スポーツイベントなども開催しています。