山口県山口市徳地に伝わる伝統工芸品、徳地和紙。今回は徳地和紙の魅力を日本、そして世界へと伝えるべく奮闘する船瀬春香さんにお話を伺いました。船瀬さんは20年間東京で会社員生活を送ったのち、地域協力活動を行う「地域おこし協力隊」として徳地への移住を決断したといいます。「コンテンツを生み出す人になりたい」という想いを長年持ち続けてきた船瀬さんが大切にしてきたこととは?過去、現在、そして未来に迫ります!
伝統工芸品「徳地和紙」の作り手として
現在の仕事内容について教えてください。
山口県山口市徳地で800年以上の伝統を誇る徳地和紙の製造や加工、販売を行う「徳地和紙ワークス」の代表を務めています。業務内容は季節やご注文によって大きく異なります。和紙を製造する場合、約10日間かけて試行錯誤しながら作ります。原料(木の皮)を煮て、流水でさらした後、木の皮に残っているキズやチリをつまみとってきれいにしてから、木の皮を叩きほぐして、ようやく紙漉きができます。その後、ゆっくりと圧搾(脱水)し、1枚1枚乾燥させる工程を経て、和紙が完成です。制作した和紙は、さらに染めたり加工して小物を制作したりします。
手塩にかけて、和紙を作っているのですね。他にはどのような仕事があるのですか?
春には余計な芽を摘む「芽かき」、夏から秋は草刈り、冬は原木の収穫作業があります。このように必要な作業を適切な時期にする感じで、1日としてルーティンの日がありません。実は徳地には、東京から地域おこし協力隊として赴任してきました。代々続く千々松和紙工房で原木の栽培や紙漉きを教えていただき、独立した今でも一緒に作業させていただいています。
地域おこし協力隊の活動をきっかけに徳地に来たんですね。任期中はどのような活動をしていたんですか。
2015年から3年間、地域おこし協力隊として活動していました。千々松和紙工房で和紙作りの技術を学びながら、ワークショップで徳地和紙をPRをしたり、小学校を訪問して和紙の体験授業もしたりしました。任期終了後も徳地に残り続けたのは、自分が和紙作りでどこまでやれるか挑戦してみたいという思いがあったからです。
「自分の中にコンテンツを持っている人になりたい」会社員として東京で働いたその先に
地域おこし協力隊として山口に移住するまで、どのような社会人生活を送っていたのですか?
東京で20年間、会社員として働いていました。最初に勤めたのは大学で英会話のレッスンを有料で提供する会社です。それから証券会社や自動車会社、広告会社など、転職を繰り返しました。「自分にとって何がしたいことなんだろう」って常に模索していましたね。
いつしかアートやデザインに憧れるようになり、展覧会やデザインイベントによく足を運びました。あるデザインイベントを仕掛けるNPOが主催するイベントにボランティアとして関わった縁で、コーディネーターとして働いた経験もあります。日本のアーティストやデザイナーと共に、イタリアのミラノで日本のデザインを紹介したのですが非常に刺激的でした。
東京での最後の仕事は、海外企業の日本進出を支援する仕事でした。そこで自分なりに満足のいく仕事をしたのですが、全く達成感を得られない時が来てしまって。「結果を出したのにどうして満足できないんだろう、このまま進んでいいんだろうか」って思い始めたんです。
葛藤があったのですね。そこから、徳地和紙にはどのようなきっかけで出合ったのですか?
思えば、東京での仕事は事務職や仲介役となる業務が多かったんです。その中で、「自分の手で何かを生み出す人」にずっと憧れを持っていました。そこで、これからの人生や働き方について友人に相談したら、地域おこし協力隊という面白い働き方があるよって教えてくれたんです。調べていくうちに偶然、徳地和紙に出会いました。そのころ40歳を過ぎていたのですが、職人さんに弟子入りして技を身に付けるなんて、今後絶対に無いチャンスだと思い、飛び込みました。
体を使って作業することは気持ちいい!徳地和紙のこれからにワクワクが止まらない今
徳地に来て和紙作りをする今、どんなことを感じていますか?
風が季節を運んできて、必ず虫が来て鳥が来て花が来て。大パノラマの自然が目の前で刻々と変わっていく。そんな徳地に来て今思うのは、体を使ってやってみないと、自分に向いているものはわからないということです。
私は大きな組織で働くよりも、今みたいに体を使って働いたり、下手でも自分で何かを生み出したり、自分で物事を決めていくのがすごく合っていると感じています。体を動かして全身で作業するのはすっごく気持ちがいいんです。それを20年間会社員生活を送った後に気づいたことに驚きですよね、こんなに遠回りしたんだなと思って(笑)。移住して和紙作りに携われたおかげで、バージョン2の自分を生きている感じです。
仕事をするうえでのやりがいや喜びはどんなところにありますか?
和紙作りの技術や知識もまだまだで、試行錯誤やNGを大量に作りながら何とかお客様に商品を届けているのが現状です。ですが、作業していると光が見えるというか、「大量にこなすことが質を生む」ことを学んだんです。たとえ100回失敗しても101回目にいいものができるみたいに、多くの時間をかけて作業することで上達していくのを体感すると、すっごい嬉しいし気持ちいいです。
それから、和紙を通じて自分の世界の広がりを感じることも喜びのひとつです。徳地和紙の伝統は800年以上も続いていて、今なお徳地和紙を愛し、守り続けている方がたくさんおられます。そんな和紙作りに私も携わっているからこそ、職人さんや地域の人々、お客様など様々なご縁に恵まれていると思っています。和紙の未知なる可能性にワクワクしていますし、それが自分の成長にもつながっていると感じます。
反対に、苦労はどんなところにありますか?
何度やってもうまくいかないときや、作業がお金にはならないことです。原木の畑の草刈や「芽かき」などの仕事は、作業の時点ではお金にはなりません。今どき和紙を使って生活している人も少ないし、大量に売れるものでもないんです。「どうしてこんなに儲からないことやってるんだろう」と正直思うこともあります。でも、やっぱり私は和紙が好きだし、この先の可能性に手ごたえを感じているからこそ続けられているんだと思います。
徳地和紙づくりのビジョンや展望はありますか?
1つは海外に徳地和紙を日本の文化として伝えていくこと。もう1つは和紙作り体験を自己発見の機会として提供していくことです。実は2019年に東京の大手保険会社の研修の一環で女性新入社員50名が来て、和紙の原木の植え替えや原木の皮をはがす作業を体験してくださったんです。自然の中で、みんなと一緒に作業する中で「自分はこういう環境だと、こんな気持ちになるんだ」とか「相手はこういう反応するんだ」って、普段の職場とは異なる状況で体を動かすことで、何か発見があるんじゃないかなと思うんです。このように和紙づくりを広げていきたいというのが私の二大野望です。
「もやもやは良き!」不安を抱えるあなたに今、伝えたいこと
ものづくりに関心を持つ読者の皆さんに向けてアドバイスをお願いします。
自分が興味のあるものをできるだけ現場で体験することが大切だと思います。私も東京にいた時に和紙屋さんに行って紙漉き体験をしてみました。でも紙漉きは、和紙作りのごくごく一部で、その前の工程は徳地に来るまで腑に落ちませんでした。ものづくりに携わりたい方は出来上がった製品を見るだけではなくて、モノが生まれる現場を訪れるのが良いと思います。あとは、体を動かせるチャンスがあったら、やりたいと思うものはどんどんやってみること。体を動かして何かを探しに行くことは非常に大切だと思います。
最後に、読者のみなさんの背中を後押しするメッセージをお願いします。
もやもやするのって当たり前だと思います。だって自分は刻々と変わっていくものですから。学んで失敗して、喜怒哀楽が日々の生活にはあります。自分が多面的で変化し続ける以上、シンプルな人生ではないと思います。私だって今でも、もやもやすることはあります。今の自分にとっては和紙作りが一番大切で楽しいですけど、10年先もそうかと言われたらわからないですよね。そうだといいなと思いますけど。
こんな風に、もやもやを抱えて行き詰まるときのためにも、普段会わない人と出会える場所を1つか2つ持っておくことをおすすめします。私も東京で生活していたころは、同僚や友達など、限られた人としか話をしていなかったのですが、新しい視点、別世界から話をしてくれる人を確保しておくのはとても大切な事です。もやもやを抱えて、自分自身を探りながら生きること。自分を大切にしていることの表れで、成長している証ですから。だから、「もやもやは、良き!」
取材を終えて
取材では会社員時代の葛藤から和紙作りの苦労まで、ありのままに語ってくれた船瀬さん。ですが、船瀬さんから感じ取ったのはその大変さすら打ち消してしまうほどの前向きさとパワーでした。「和紙の未知なる可能性にワクワクしてるんです」と迷うことなく、まっすぐに語る船瀬さんはとても輝いていました。自分が好きなことに心も身体も正直に、攻めの姿勢で生きてみたい!船瀬さんから勇気をいただきました。お忙しい中、貴重なお話を聞かせていただき、本当にありがとうございました!
写真提供:船瀬さん
船瀬 春香(ふなせ はるか)
1973年生まれ。東京での社会人生活を経て、2015年に地域おこし協力隊として山口県山口市に移住。「徳地和紙の伝統と技術の継承」をテーマに活動する。任期終了の2018年、徳地和紙ワークスを起業。和紙作りの製造・加工・販売、イベントでのPRなどを通して、徳地和紙の魅力を伝える