皆さんは、将来やりたい仕事は決まっていますか?すでに決まっている人がいる一方で、やりたい仕事が見つからず焦っている人も多いのではないでしょうか?
今回は、アジア・オセアニアの国際交流を推進するかめのり財団で理事・事務局長として働く、西田浩子さんを取材しました。国際交流に約30年ほど携わっている西田さんですが、元々その道を志していたわけではなく、大学時代には教員になろうと思っていたそうです。そんな西田さんの変化に富んだキャリアや仕事観について伺いました。
教員の道を断念した後、やりたい仕事が見つからなかった20〜30代
現在の仕事内容について教えてください。
アジア・オセアニア地域の若い世代の国際交流、その架け橋となる人材育成をしている公益財団法人かめのり財団で、理事と事務局長を務めています。財団では、日本で学ぶアジアの大学院生の奨学事業や、日本やアジアの学生の交流事業、また顕彰事業や講演を実施しています。私はそういったプログラムの企画・立案から、運営まで担当しています。同時に、事務局長として職員の管理・監督や組織全体の統括もしています。いわゆるプレイングマネージャーですね。
今までどのようなキャリアをたどられて来たのですか?
元々教員になろうと思っていたので、大学は教育学部に入りました。でも、私にはクラスの生徒に均等に愛情を注ぐなんて無理だと教育実習で感じ、教員になることを断念したんです。大学卒業後は、自分が何をやりたいのかがよくわからなくなってしまいました。20代から30代前半までは、ずっと自分探しをしていたのかもしれません。
そうだったんですね。国際交流に関わるようになったきっかけは何だったのですか?
当時通っていた英語学校の友人が海外インターンシップを紹介してくれたことが転機になりました。大学時代は人文地理学専攻でいろんな文化について勉強していたこともあり、元々異文化や海外に興味がありました。加えて、ずっと英語を話せるようになりたいと思っていたので、就職してからも英語学校で英語の勉強を続けていたんです。そうした想いからインターンシップへの参加を決め、オーストラリアで9ヶ月ほど、現地の中高校生に日本語や日本文化を教えました。オーストラリアでの経験で価値観がガラッと変わり、今日の私に繋がっています。
オーストラリアでの経験が人生のターニングポイントとなったのですね。帰国後はどうされたのですか?
インターンシップのときにみんなから注いでもらった愛情を何らかの形でお返ししたいと思い、公益財団法人AFS日本協会(以下AFS)という国際交流団体のボランティアになりました。海外から来る高校生とホームステイ先の家庭、留学生が通う学校を繋ぐサポート役をしていました。
とはいえ、仕事をしないと生きていけません。帰国後は、インターンシップに行く前に働いていた予備校で知り合った数学者の先生に頼まれて、秘書をしていました。その後、先生が研究休暇で海外へ行くことになり、秘書の仕事がなくなると思っていたところ、同じAFSのボランティアの方から専門学校で留学のコーディネーターをしてみないかと誘われました。留学のコーディネーターをしながらAFSでボランティアを続けていると、今度はAFSから、ある事業の専属スタッフになってみないかと打診がありました。そうして、AFSのプログラム・コーディネーターになったんです。
運と縁で見つけたやりたい仕事
その後、どのようにして現職にたどり着いたのでしょうか?
AFSで働いているうちに重要なポジションを任されるようになり、あとは事務局長のポジションが残るのみとなりました。でも、性別を含めさまざまな壁があり、私がそのポジションに就ける可能性は少なそうだったので、定年までのあと10数年間同じ仕事をしつづけるのではなく、何かチャレンジをしてみてもいいんじゃないかなと思っていました。そんなときに、AFSで知り合った方から「ダイバーシティ・マネージメントを支援するJ-Winという団体の事務局長を探しているんですが、興味ありませんか?」と持ちかけられたんです。それで13年働いたAFSを辞め、J-Winに行くことを決めました。
ただ、J-Winはまだ組織の立ち上げ段階だったために忙しく、私も家庭の事情で仕事を続けるのが難しくなり、もう少し時間に余裕が持てる働き方を希望していました。そんなときに、かめのり財団からお誘いがあったんです。AFSで働いていたときにかめのり財団の設立をお手伝いしていた縁もあり、かめのり財団に移って今に至ります。
若い頃は何がやりたいのかわからなかったとおっしゃってましたが、その後やりたいことは見つかりましたか?
やりたいことはなかなか見つかりませんでした。だから、私はこういう仕事がやりたいとか、こうなりたいと思って仕事をしていたのではなく、仲間からの仕事の紹介をきっかけになりゆきで仕事をしていました。ただ、やりたくないことはしませんでしたね。やりたくないことを消していった結果、消去法で今やっている仕事がやりたいことなのかなと後から思うようになったんです。
仕事をしているうちに、自分が本当にやりたいことを見つけられたのですね。そんな西田さんにとって、仕事とは何ですか?
一言で言うと、人生におけるパートナーなんじゃないかって思っています。仕事には、思い通りにならない困難がたくさんあります。困難を乗り越えるには新しいことを勉強する必要があるので、仕事を通じて新しいことを学んで、自分を成長させられるんです。大学を卒業してから仕事がいつもそばにいて、自分を成長させてくれているので、仕事は友達のようでもあり、先生のようでもあります。だから私はパートナーと表現しました。
素敵な関係ですね。仕事をするときに心がけていることは何ですか?
誠実であることですね。どんな仕事においても、人と人の信頼関係がすごく重要だと思っています。でも、信頼関係って一朝一夕では生まれないんですよ。信頼は積み重ねによって培われていきますが、ちょっとしたことで一瞬のうちに失ってしまうものなので、私はどんな人たちに対しても誠実でありたいなと思っています。
挫折の経験は若ければ若いほどいい
今の学生に伝えたいことはありますか?
今の学生さんって真面目ですよね!授業もサボらず出席していると聞いています。ただ、今の学生は最短距離で何かを成し遂げたいと思っているのではないでしょうか?回り道をせずに名の通った企業に入りたい、とか……。でも、私は寄り道をしてもいいんじゃないかって思っているんです。
20代の私は、何事も失敗したくないと思いながら失敗していたような気がしています。でも、若いころの失敗って「失敗」じゃないんですよ。1番重要なのは、失敗から立ち直る力を身につけることなんです。世の中は思い通りにいかないことばかりなので、1つひとつに落ち込んでいたら生きていけなくなってしまいます。だからエネルギーのある若いうちに異文化体験をして、苦労したり不便な環境に身を置いたりすることで「そっか、こうすればいいんだ」「1回くらい失敗しても、いくらでもチャンスはあるんだ」と学んでもらうことがとても大切だと思うんです。そのためにはじっとしているんじゃなくて、自らチャンスを掴むためにアクションを起こしてもらいたいなと思っています。
女子学生に何かメッセージをいただけますか?
特に女性のみなさんはいろんな選択肢を持っていますよね。例えば、結婚するかどうか、子供を産むかどうか、っていう。もちろん、全部やりたい、フルコースで人生を楽しみたいというのもそれはそれでいいと思います。ただ、順番や優先順位を考えておいて、選択を迫られるときにはその都度自分で選択をしていくことが大事なんじゃないかなって思っています。選択をするときには、「これがいい」と決めるのではなく、私みたいに「これはやらない」と決めるのもひとつの選択肢です。そういった意味で女性はいろんな可能性を秘めていると思うので、それぞれが自分の中で「これがいいな」と思うことを選択して、強く生きていってもらいたいと心から願っています。
取材を終えて
「今の学生は最短距離で何かを成し遂げたいと思っているのではないでしょうか?」と聞いて、内心ドキッとしました。まるで私のことを言っているかのように感じたからです。
誰しも、失敗を恐れて挑戦をためらうことがあると思います。そんな時には西田さんの言葉を思い出して、失敗は「失敗」ではなく、全て成功のもとだと考えるように心がけたいです。
西田さん、快く取材を引き受けてくださり、ありがとうございました!
写真提供:西田さん
公益財団法人かめのり財団
日本とアジア・オセアニア地域との友好関係や相互理解の促進と、その懸け橋となるグローバル・リーダーの人材育成を目的に、2006年に設立。主に青少年を対象とした異文化交流や研修プログラム、アジアでの日本語教育支援、大学院留学生への奨学事業の他、かめのり賞の顕彰や助成を行う。(https://www.kamenori.jp/)