NPO法人World Theater Project代表 教来石小織(きょうらいせきさおり)さん。彼女が途上国の子どもたちに映画を届ける活動を始めて5年。夢を描き、実現し、そして続ける彼女にとって自分らしさとは、映画とは何なのでしょうか?夢がある人も、まだ自分の夢がわからない人も必読です。
お知らせ:【10/12】教来石さんをゲストに招いたイベントを開催します。ぜひご参加ください!
映画配達人の原点…「教来石さんと映画」
代表を務めていらっしゃる、World Theater Projectの活動について具体的に教えてください。
私たちの活動はとてもシンプルです。「生まれ育った環境に関係なく、子どもたちが夢を持ち人生を切り拓ける世界をつくる」というビジョンのもと、2012年から途上国の子どもたちを対象にした移動映画館を行っています。具体的には、スクリーン、プロジェクター、発電機など上映機材を持ち込んで、村の広場や学校の教室を即席の映画館に変えています。
元々は日本人のボランティアスタッフが年に1、2回カンボジアに渡航して上映していたのですが、一人でも多くの子どもたちに映画を届けるため、2015年からカンボジア現地に「映画配達人」という職業を生みだしました。普段はトゥクトゥク(三輪)ドライバーをしているスタッフが副業として、週に1,2回のペースで各村を回って映画を上映しています。団体としてこれまでに4万人を超える子どもたちに映画を届けてきました。
小さいころから映画が好きで、大学では映画制作について勉強し、映画監督を目指していたそうですね。教来石さんの夢の原点を教えてください。
大学3年生の時、ケニアにホームステイをしてドキュメンタリー映画を撮ったことがあります。村の仲良くなった子どもたちに将来の夢を聞いたときに、出てくる答えが少ないように感じました。子どもの頃から映画に影響を受けやすかった私は、その後映画館をつくる映画を観て、案の定影響を受けました。もしもケニアのあの村に映画館があったら、子どもたちはどんな夢をみるんだろうと思ったのが20歳の時です。
当時ケニアを選んだのは、紙切り芸人の方が、マサイ族の子どもたちに紙切り芸を披露しているのをテレビで見たのがきっかけです。初めてのものを見る子どもたちの目がキラキラしてたんです。それを見たとき、私も子どもたちにこんな顔をさせたいと思って、東急ハンズでマジックグッズを買っていきました(笑)。思えば昔から、初めてのものを見る途上国の子どもたちのまなざしに尽き動かされてしまう自分がいたのだなと思います。
挫折を乗り越えて見えたもの。変化したこと。手にしたもの。
教来石さんは、幼い頃から映画と共に夢を描いてきたんですね。映画から離れたい…!って思ったことはないのですか?
大学卒業後、映画監督の夢を諦めてからは、映画に素直に接することができなくなっていたように思います。映画監督は諦めたけれど脚本家は諦めていなくて、大学卒業後はずっと、派遣社員の事務員をしながら脚本家大賞に応募しては落ちる、ということを繰り返していました。恥ずかしながら、映画監督として成功している人に嫉みみたいなマイナスの感情が湧いてきたりして、純粋に映画を楽しめなくなっていたように思います。
派遣社員の事務員から、映画の世界に再び飛び出そうと思ったエネルギーはどこから湧いてきたのですか?
2012年に、私にとっての人生のどん底が訪れたんです。詳しくは『ゆめの はいたつにん(センジュ出版)』という著書に書いてあるのですが、いろいろあって死を意識したときに、自分の中の何かが明確に変わったんです。それまでは自分の幸せだけを考えて生きてきたのですが、あと少しししか生きられないなら、誰かのために生きたいと強く思いました。
泣きながら過ごしていたある日、事務の仕事中にカンボジアの子どもたちに映画を届けたいという夢が降ってきたんです。なぜかカンボジア。実はそれまで行ったこともなかったので、カンボジアに行ったことがある人に先に話を聞くところからスタートしました。
紆余曲折を経て現地で初めて上映をしたとき、子どもたちが真剣に映画を見る表情に泣きそうになりました。現地の方にとって迷惑なことであれば一度でやめようと思っていましたが、その時にずっとこの活動を続けたい、世界中の子どもたちに映画を届けたいと思いました。なぜなら初めてだったんです。私の人生であんなにもたくさんの人たちに喜んでもらえたのは。映画は素晴らしいものだと再確認した瞬間でした。
映画とは離れていた時間、言い換えるならば、映画監督になれず、脚本家としてもうまくいかず…もがき続けた20代の10年間は、ご自身にとってどんな意味があったと思いますか?
スティーブ・ジョブズが演説で言っていた「点」をたくさん残してきた10年だったのだなと思います。この活動を始めてから、人生の全ての点がつながってきた感覚があります。あの時出会った人や、あの時勉強したことが不思議とすべて生かされているんです。
また、私が映画から学んだ一つに、「自分の人生の主役は自分」というものがあります。20代の10年間は、たとえばパートナーだったりと、誰かの人生の良い脇役を目指していた気がします。この活動を始めて、自分の人生の主役は自分なんだと自覚することができてから人生が動き出した気がしています。
人生の主役は自分自身。ストーリーはまだまだ続く…。
活動の今後の展開について教えてください。
私たちのミッションは「世界中の子どもたちに映画を届ける」ことです。カンボジア始め他の国にも展開し、世界中の子ども達に映画を届けたいと考えています。
本を届けるNGOの活動は世界に広がっていますが、映画を届ける世界的な団体はありませんでした。なぜなら映画には簡単には上映できない権利の構造があるからです。現在上映できている作品たちも、権利元のご担当者様が大変な苦労をされて許可を出してくださったものです。
権利があるからこそ映画は守られ、映画文化は栄えてきました。権利はとても大切です。一方で、食料やワクチンのように、映画を観られる環境にいない子ども達に届く映画がもっとあってもいいのではとも思っています。
現在、俳優の斎藤工さんのご提案で、世界の子どもたちに届けることができる、言葉のないクレイアニメ映画『映画の妖精 フィルとムー』を、活動に共感してくださった女性監督が制作してくださっています。私たちの活動に共感してくださる方で、作品を尊重し、子どもたちに映画を届けたい方なら、誰でもどこの国でも上映できる作品にしたいと思っています。短い作品ですが、映画を観られる環境にいない子ども達に映画が届くようになる大きな動きの第一歩になることを願っています。
私たちが言うところの映画上映はそれほど難しいものではありません。現地の理解と、発電機やプロジェクターなどの上映機材、そして映画作品があれば良いのです。今まで映画作品だけが手に入りにくいものでした。それがもうすぐ完成します。
「映画配達人」になって各国に赴いてくださる方が増えれば、より多くの子ども達に映画が届きます。自分たちで全てやるのではなく、共感と活動の輪を広げていきながら、多くの方に関わっていってもらうことが一番のミッション達成への近道ではと思っています。
「私の夢ってなんだろう…」と悩んでいる女子学生に向けて、メッセージをお願いします!
人は幼少期や学生時代に植え付けられた人生のキーワードから一生逃れられないそうです。私の場合は、「映画」、「途上国」、「子ども」で、その3つが掛け合わさったものが夢になりました。本来は飽きっぽい人間なのですが、この夢だけは一生続けるのだろうなという確信があります。
『あなたには夢がある(英治出版)』という本の中に、「夢とは、人生をかけて築き上げたいと願うもの」というくだりがあります。そして「いい人生とは、期待して待つようなものではない。いい人生とは、自分の夢を土台にして、一瞬ずつ築いていくものだ」とも書いてありました。
この夢を思い描いた5年前、「私、5年後には死ぬかも」と思い込んでいました。全然そんなことなかったのですが、当時は苦しんでいました(笑)。明日死ぬとしたら何がしたいか考えると、家族と過ごしたいとか、美味しいものが食べたいとかになるかもしれませんが、あと5年しか生きられないとしたら何を残したいか考えたら、人生のキーワードや人生をかけて築き上げたいと願うものが見つかるかもしれません。
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取材を終えて
教来石さんは難しく入り組んだことは一切語らない。けれど、ひとつひとつ確かめながら、心の中から発せられる優しい言葉たちを聞いているうちに、私は思わず、自分が幼いころに描いていた夢は何だったかな…と考えてしまいました。落ち着いた物腰の裏に感じる、心に秘めた情熱とユーモアセンスにクスクスを笑いが絶えない取材となりました。お忙しい中、お時間をいただきありがとうございました。