高校を卒業し、アメリカの大学へ進学するなど、未知の世界へ飛び込むことを恐れない北折さん。楽しみながら、学びながら仕事を続ける。そんな北折さんの充実した毎日の仕事、子育てについてお話を伺いました。(2012年6月時点の情報です)
知らないから面白い-北折さんのワークスタイルとは?
現在のお仕事内容を教えてください。
『日本語教育ジャーナル』という日本語教師を目指す方に向けた雑誌の編集に1年半ほど前から携わっています。編集という仕事は多くの人のアイデアを本の形にまとめる作業です。毎月編集会議を開き、皆で意見を出し合ってテーマに合ったインタビュイーを決めていきます。枠にとらわれず自分の気になったフィールドに飛び込んで取材をし、記事にしていきます。
『日本語教育ジャーナル』を作っていて一番のやりがいはなんでしょうか?
雑誌編集の一番楽しいところは、取材を通じて一流の人、旬の人に会えることですね。有名・無名に関わらず、お話を伺いたいと思う方には志のある方が多く、そうした考え方に触れると刺激になりますし、自分の糧にもなります。また、読者から「この特集が役に立った」、「自分の人生を変えた」といった生の声がハガキで届くとすごく嬉しいし、頑張って良かったなと思います。
それが面白さにつながっているんですね。逆に苦労されたことはありますか?
入社してからずっと、日本人向けの英語テキストの制作に携わってきたので、外国人学習者が対象の日本語教育とはアプローチが違い、最初はとまどいました。同じ語学教育でも、日本語学習者は出身国がまちまちで、母語もバックグラウンドも違う。彼らに日本語を教えるときは、英語を教えるときと違う視点が必要です。
これまで身に染みていた英語教育の常識から離れ、新しい視点を身につけるのはひと苦労でしたが、1年くらいすると、英語教育と日本語教育の共通項も見えてきて、広い視野で言語教育を捉えられるようになりました。そういう意味では、ひとまわり成長できたと思います。
どのようなきっかけでアメリカの大学に進まれたのでしょうか?
もともと英語が好きでしたし、家族がアメリカに転居することもあって、アメリカの大学に進学しようと決めました。周囲には猛反対されましたが、それでも尊敬している英語の先生に背中を押されて、せっかくの機会なので周りの人と違う道へ進もうと思いました。
恐れず知らない世界に飛び込まれてすごいです。アメリカで学生時代を過ごされていかがでしたか?
一番の思い出は、勉強と議論ですね。図書館にカンヅメで朝から晩まで勉強しても、授業に追いつくのがやっとで。努力しても叶わないことがあるという経験は悔しかったです。でも、そういうこともあるのだと気付けたのは、私の財産だと思っています。
そして、寮に帰ると、「真珠湾攻撃」の是非について議論をふっかけられる(笑)。アメリカの大学にはさまざまな人種や各国からの留学生がいて、自分の意見をきちんと持っています。そういった環境で、物事を深く考え、自分の言葉で意見を述べる訓練ができたのは、よかったと思います。
ご卒業後はどうされましたか?
7月に日本に帰ってきましたが、新卒の募集はすでに終わっていました。とりあえず、英会話学校で講師をすることにしたのですが、3年目に入り、「私はずっとこのままでいいのか」と思い、再び求人欄を見始めました。
もともとモノ作りに興味があり、さらに英語を生かした職業を探していたところ、アルクの求人が目につきました。高校時代、アルクが出版していた『留学辞典』をむさぼるように読んだのを思い出しました。私が学生時代に取り組んだことや留学経験を形にできるこういう道もあるのだと気づき、出版業界への転職を決めました。
それではアルクに入社してからのお仕事をお聞かせください
まず英語教材編集部で、TOEICや英検対策などの通信講座を4年ほど制作しました。その後、配属されたのが月刊の英語学習誌でした。月刊誌は通信教材のノウハウとは別のめまぐるしいサイクルで、常に3ヶ月先の企画を考えながら、CDの収録や取材をこなしていきます。2年続けた後に結婚し、受講生向けの会報誌の編集部に異動しました。この仕事を1年ほど続けてから出産し、1年の育休を経て職場復帰しました。その後、子どもが大きくなってきたので、再び英語教材の仕事を経て、現在の仕事をしています。
子育てとお仕事の両立は大変だと思いますが、どのように両立されていらっしゃいますか?
仕事と子育ては、大変さのポイントが違うので、両立は実はよい気分転換になるんです。仕事で失敗して落ち込んでも、家で子どもの笑顔を見ると嫌なことを忘れてしまうし、一日中パソコンに向かったあとの家事は、気持ちが切り替わります。家事に協力的な夫の存在も欠かせません。
編集職は時間が不規則で突発的な業務も多いことから、育休明けも同じポジションに戻れるか不安でした。しかし、当時の女性上司がとても理解のある方で、その期待に応えたい、これからも本を作り続けたいという思いで、復帰しました。職場も夫も支えてくれるのに、自分がいきなりやめるという選択肢はありませんでしたね。
仕事が苦しい時には保育園のお母さんたちと励まし合いました。業種は違っても、働くお母さんという点で連帯感が生まれます。悩みはお互いに相談しあいながら乗り切りました。
作っているのは人、だからこそつながりを大事にした仕事を
仕事で心がけていること、仕事への思いを教えてください。
一冊の本が出来上がるまでには、著者、デザイナー、イラストレーター、カメラマン、DTPオペレーターほか、たくさんの人たちが関わっています。そうした方々のプロ意識に対するリスペクトを忘れないよう心掛けています。
また、最近ではメールですべてのやりとりを済ましてしまい、一度も会わないことも多いと思いますが、私はなるべく会ったり電話をしたりするようにしています。一度も会わないと、ハプニングがあった時に関係がこじれてしまうことがあるので。作るのは「モノ」ですが、それを作っているのは「人」だということを常に忘れないようにしています。
北折さんにとっての仕事とは何でしょうか?
社会と繋がる場所ですね。育休中に仕事を1年休んで、子どもと一緒に過ごした日々は、もちろん幸せでした。でも、「私」ではなく、子どもの母親としてしか見られていないと感じることもあり、違和感がありました。私はお母さんである自分も大事にしたいけれど、今まで大学などで勉強してきたことを社会に生かし、一人の人間として、女性として、社会に貢献できることもあると考えています。仕事をしていると違う発想や考え方に触れることができ、自身が成長できます。行動範囲が広がるので、様々な人と会って自分の世界を広げることも可能です。
将来の夢を教えてください
これからの日本は、外国籍の人がたくさん入って来たり、日本人が外国へ行ったりとグローバル化がますます進んでいきます。複数の言葉を使えることで自分の世界・価値観・チャンスが広がることがあるので、そういったことを実感できるような新しい形の言語教育を提案していきたいです。
同じ仕事を志している人にメッセージをお願いします
編集職は、常に情報のアンテナを張り巡らせておくことが大切です。大学時代から多くの人と出会い、繋がっておくと良いと思います。少しでも興味のあることなら、臆せず出かけ、体験してみてください。その時の経験やつてが、何年後かに企画を生み出すことや、人脈につながることだってありますよ。
インタビューを終えて(ハナジョブ学生記者)
仕事を常に楽しみながら、学ぶ姿勢を持って取り組む北折さん。誰もやっていないことだから自分がやるという前向きな姿勢で生き生きと輝いていらっしゃいました。私も知らないから、わからないからと恐れずに、チャンスに変えてやっていこうと思いました。ありがとうございました。
1969年4月の創業以来、企業理念として「地球人ネットワークを創る」を掲げ、実践的な語学力を身につける教材の開発をすすめてきた出版社です。書籍、通信講座、Webサイト、デジタルコンテンツの提供など、語学分野における学習者向けの様々な支援を行っております。