高校時代から憧れていた編集の仕事。夢を叶えたからには、仕事は絶対に妥協しない! というポリシーを強く感じさせる池田さん。学生の時、転職の時、そして今の仕事を始めた時のユニークなエピソードをお聞きすることができました。「好き」を仕事にした方の、強いエネルギーはどこからくるのか、お話を伺いました。(2010年12月時点の情報です)
編集の仕事は体力勝負! ~池田さんのワークスタイルとは?
現在のお仕事の内容を教えてください。
将来的に定期刊行を目指す雑誌等を、研究しながら作っていくのが私の仕事です。担当しているのは「Age[アージュ]」という雑誌で、紙媒体だけではなくウェブ上でも情報発信しています。
それから、短期間で利益を見込める様々なビジネスモデルを提案して、プロジェクトを作り出しています。だから肩書はプロジェクトマネージャーに近いかもしれませんね。
現在の仕事に就くまで、どのようなお仕事をされてきたのでしょうか?
中途で入社してすぐ、ファッション雑誌「Olive」の編集部に配属されました。そこに3年間いましたね。
その後は「Hanako」に7年半、「クロワッサン」に2年、「an・an」に1年いました。「an・an」に配属されている間に「Age」の企画を立ち上げ、去年の6月に初めて雑誌を発行しました。
「Age」を立ち上げたきっかけは、社長に何か企画はないかと尋ねられたことです。それでアラフォーの女性をターゲットにした企画書を書いたんです。何回も社長室へ行き、実施まで1年かかりましたね。やっぱり、簡単にはいきません。ガッツがないと負けちゃいますね(笑)
学生時代、どのように就職活動をされましたか?
大学時代から雑誌の仕事はしたかったのですが、保守的な土地柄のため就活のために地元を離れることは考えられませんでした。
だから、大学4年生の時に、地元のタウン情報誌「タウン情報クマモト」の出版社でフリーのライターとして働き始めたんです。担当した企画は東京の出版社からの依頼で作る、九州でツーリングをするためのガイドブックでした。
その仕事が面白くなって、そのままそこでお世話になったという形です。私が学生の頃は、今みたいないわゆる就職活動というものはあまりなかったような気がします。同級生は教師になる子が多かったです。
どうして雑誌の仕事を志望されたのでしょうか。
私の学生時代は今のようにインターネットも携帯電話もありませんでした。ファッションやカルチャーを教えてくれたのは雑誌だけだったんです。
雑誌が紹介している中にほしい商品があれば、電話をかけて東京から取り寄せていました。雑誌には、夢が詰まっていました。知らない世界も教えてくれました。
だから、私もこんな風に夢と世界を与えてくれる仕事の送り手になりたいと思ったんです。
現在の会社に入るまでの経緯を教えてください。
地元で働き始めて2年経った頃、自分が見たものを全国に発信するには、やはり東京だろうと思って上京しました。
上京してすぐは、短期のバイトをしたり、小さな出版会社で契約社員として働いたりしていました。青年向けの雑誌など、ちょっと刺激の強い仕事を経験したこともあります。
でもその時期に自分には企画から立ち上げる方が向いていると気づいたんです。そこで編集実務を委託される編集プロダクションではなく、企画から立ち上げることができる出版社に入ろうと決めました。それで新聞の中途採用の求人広告から応募して、現在に至ります。
入社してみて環境がかなり変わったと思いますが、実際はどうでしたか?
大手の出版社って、会社内にセオリーが無意識的に存在していることに気づきました。たとえばファッション雑誌なら、まず撮影日から決めるというように。やり方に慣れるまですごく時間がかかりましたね。
今でも忘れないことがありますね。入社してすぐに、ベテランのスタイリストの方との企画を担当したことがありました。でも東京に出てきてすぐだったので、情報がなくて話し合いについていけなかったんです。それで次の打ち合わせまでに200件くらい企画に関する場所へ行ってレポートを書きました。プロとして対等にお話しできなくて、悔しかったんです。
それって生半可ではないことですよね。
ガッツよ(笑)
でも小学校や中学の成績表には「根気がない」とか「飽きたらすぐやめる」と書かれていましたよ。きっと瞬発的に力が出るんだと思います。好きなものに対してはとことんチャレンジしていました。
「仕事は、工夫しながらベストを尽くしたい」そう語る池田さんの仕事観とは?
心が折れる瞬間はありましたか?
当時は企業との編集タイアップの仕事が増えた時期でした。企業が作った広告をただ載せるのではなく、編集部と企業で協力して広告を作り上げるんです。広告がたくさん入った号は毎晩2時、3時まで仕事をしていましたね。その時は肉体的に辛かったです。
あとは、たくさんの人の意見をすり合わせていくことや、企業の期待に沿う企画を打ち出す苦労がありました。独特の雰囲気があるチームに配属されると、その雰囲気に馴染めなかったこともあります。そういう苦労を味わいながら、「Hanako」でようやく一冊をディレクションする責任と面白さを知りました。
逆に楽しいと思うことや、雑誌でしか得られない楽しさはどこにありますか。
それは間違いなく読者の声が届いたときです。私は雑誌を読んだ人にアクションを起こしてほしいと思っています。友達の声も嬉しいです。
例えば、「普段お父さんは雑誌なんて買わないのに、この特集のときだけは買うのよ」とかね。映画を見に行く、洋服を買う、何でもいいからアクションを起こしてくれることが、私の雑誌を作る喜びです。誰かがアクションを起こしてハッピーになってほしいと願っています。
では、仕事に関して心がけていることはありますか?
ガッツで乗り切れないことも、実はたくさんあるんです。
例えば、私は会社員だから、担当する雑誌を好きに選べないとか。だから自分でコントロールできないことは受け入れて、目の前にある仕事を楽しんでいます。何でもやってみれば面白いから、こだわりすぎずに。どうせやるならいい仕事を、という気持ちがあれば大抵のことは乗り切れる気がします。
雑誌を作るときのことをお伺いしますが、マスの視点は意識するのでしょうか。
それは逆で、個人の視点の方が大切です。一個人として、一消費者としてのアンテナを張らなければいけません。そして、それに興味を持たないと。ちらっと聞いたことあるな、という程度で企画を書いても必ず突っ込まれてしまいますからね(笑)
あとは、友達とおしゃべりしてヒントをもらうことも大切です。情報をもたらしてくれるのも、大切なことを教えてくれるのも、必ず人ですからね。
では、紙からウェブに移行していくことはどのようにお考えですか?
私は紙の雑誌には全然こだわっていないんです。インターネットも初期から使っていましたし。ウェブやデジタルはむしろ好きなほうです。
突き詰めると、自分が見たり聞いたりして美しいな、楽しいな、面白いな、と思うものを人に向けて発信していくのが好きなんです。だからそれが紙だろうがウェブだろうが気になりません。
今後、仕事でどのようなことをしていきたいですか?
会社という組織があってできることと、個人のレベルでできることが共存できる時代だと思うんですよ、現代って。これまで誰かに何かを届けるにはマスメディアの力が必要だったけど、今は私一人でもネットを駆使すればできるかもしれない。だから、今後はデジタルの世界で何かを実現するということを考えていきたいですね。今は色んな方法を模索中です。
最新の仕事としては、部署を越えた仕事ですが、来年の春に書籍の出版を予定しています。これはウェブを使ってアンケートを取って、その内容を書籍に反映させるという作り方をしているんですよ。
最後に学生にメッセージをお願いします。
目の前の仕事を一生懸命やることを第一に。自分がその仕事を工夫したらどうよくなるのかを考えてほしいなと思います。
入社してすぐは「これはワクワクする!」と思える仕事はないかもしれません。でもそういう仕事は後で振り返るととても大切だと気づくものなので、必ずベストを尽くしてください。その上で、自分ならその仕事をどう良くするかを考えて取り組んでみてください。あとは仕事のことでも何でも、一人で悩まずに友達に相談してくださいね。
インタビューを終えて( ハナジョブ学生記者)
学生時代からの思い、経験の積み重ねで夢は叶うんだなと勇気づけられました。目の前にある仕事をいかに工夫するか。得られる楽しさも、スキルも自分次第だと改めて知らされたインタビューでした。ありがとうございました!
お仕事紹介(編集)
編集の仕事は、企画の立案から始まります。どんな特集を組むか、特集のためにどんな取材が必要かなどをあらかじめ考え、詳細に企画を詰めていきます。池田さんの所属する編集部は3人体制で、現在は将来定期刊行できそうな雑誌・DVDをそれぞれが研究しながら作っています。池田さんの担当は「Age」で、アラフォー女性をターゲットにしています。
マガジンハウス
出版社。発行する雑誌は『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』『Hanako』『ku:nel』『GINZA』『Tarzan』『クロワッサン』等。書籍は『きょうの猫村さん』『断捨離』等。WEB「マガジンワールド」でも発信。(マガジンハウスのサイトはこちら)