大学で専攻していた法学の分野から一転、記者一筋の道を歩まれている永山さん。世の中に知られていない問題を発見して、掘り下げることの大切さをお話してくださいました。実は人見知りという一面も!記者にとって必要なことは何かを考えさせられる取材となりました。(2010年9月時点の情報です)
人見知りを上回る探究心!
現在の仕事内容を教えてください。
新聞社には現場の最前線で取材をする記者と、その記者が書いた原稿をチェックして、記事を作り直し、より面白くする編集の仕事をするデスクがいます。私自身は取材に行きながら、それに加えて記者全体を総括する仕事もしています。
私のいる科学環境部では、サイエンス、医療、環境問題、エネルギー問題、自然災害など、多岐にわたる分野にフォーカスをあて報道しています。最近は、高額医療費問題を連載で取り上げたところ、読者から非常に反響がありました。昨年は、まだ社会が注目していない問題として獣医師の人材不足の問題を取り上げました。新聞社の大切な仕事の一つに、世の中でまだ知られておらず、考えてもらうべき問題を掘り下げることがあると思います。
そのためには、常にアンテナを張り、会社の机に座っているだけではなく、日常生活の中で色々な人と会ってお話することが必要です。その人たちがなんとなく問題だと思っていることが、実は世の中でも大きな問題になっていることがありますから。
記者の仕事は書く仕事だと思っていたのですが、実際に人に会って話を聞くことが大事なんですね。
極論に言うと、記事を書くよりも情報の方が大切です。大事なのは情報であり、いかに現場に行って情報を拾い、事実をつかめるかなんですよね。
実は私、とても人見知りなんです。今日も電車が止まって取材が延期になればいいと思ったくらい(笑)。でも実際に取材で人に会うと、必ず一つは新しい発見があって、それが記事に繋がるんですよね。そういう経験を繰り返して、とにかく人に会って話を聞かなければ!と思うようになりました。
現在の仕事に就くまで、どのようなお仕事をされてきたのでしょうか?
東京本社に異動になるまでは、大阪本社で2年、和歌山支局で3年、前橋支局で4年間働きました。大阪本社では整理部という部署に所属し、紙面をどういったレイアウトにするか考える編集の仕事をしていました。和歌山支局では警察担当に就き、地域で起こった事件・事故や、街の話題について取材をし、記者としての訓練を積みました。前橋支局では、主に行政や政治・選挙の取材をしました。
そして2000年から東京本社に来て、再び編集の仕事に就きました。東京が一番多くの情報発信地ですので、自分の紙面づくりによって日本全国の毎日新聞の記事の扱いが決まることもあり、そういった意味ではとてもダイナミックで面白い部署でした。
2002年から科学環境部に移り、今に至ります。
最初から新聞記者を目指していたのですか?
大学入学当初は、司法試験を目指していました。「女性も社会で活躍するべきだ」という両親の教育の影響もありましたね。でも、司法試験は一回受けてみたものの、まったく歯が立ちませんでした(笑)。
これは合格するのがなかなか難しい世界だな、というのが見えてきた頃、ちょうど天安門事件やベルリンの壁の崩壊など、新しい時代の幕開けといわんばかりの目まぐるしいでき事が世界中で起きました。それをきっかけにマスコミに興味を持ち始めました。
過去のことを振り返り、それを現代社会の秩序作りに反映させる法律の勉強より、物事の最前線をこの目で見たい、新しいことを世の中に伝える、という報道の仕事への関心が強まりましたね。就職活動も、マスコミ中心に受験しました。私の世代はバブル時代まっただ中でしたので、比較的に気軽にチャレンジできたと思います。
仕事の楽しさと苦労を教えてください。
人との出会い、そして会話の中で新しい発見が常にあることが楽しさですね。必ず一つ以上は、驚いたり感心する事実や発見があります。先日、地球に帰還したはやぶさ探査機の取材で、オーストラリアまで行ってきたのですが、はやぶさが返ってくる瞬間に、自ら立ち合えることができたのは感慨深いものでした。現場でなければ体験できないことを自ら体験できるというのは何にも代えがたい、この仕事の面白さだと思います。
一方で、日々苦労の連続です。常に新しい原稿を途切れなく書かなければいけないという使命感、義務感もありますし、競争の激しい報道の世界ですからもちろんプレッシャーもあります。
実は、紙面に載せられる記事の数は限られています。たとえば新聞の1面ですと、3、4本が相場です。社会面も、見開きで大きな記事は5本載れば多いほうです。ですから、いかに自分の記事を載せてもらうか努力し、工夫を凝らし、凌ぎを削るというわけです。
書く記事の影響力を忘れないように
仕事で心がけていること、大事にしている想いを教えてください。
20年近くも仕事を続けていると、毎日の仕事がルーティーンになりがちです。しかし、わたしたちの書く記事の影響力は忘れてはいけない、と肝に銘じています。私たちが何気なく書いた言葉づかい一つをとっても、人それぞれ受け止め方や与えるイメージは異なってきます。取材の仕方にしても、事件の取材や不利益を被っていらっしゃる方へ取材では、傷つけてしまう恐れもあります。なるべく取材する方の気持ちに寄り添い、配慮するように気を配っています。
永山さんにとって仕事とは何ですか?
幸いなことに、私にとって仕事は義務的なものではありません。私は自分自身を「給料泥棒」だと思っているんですね。仕事をしながら毎日勉強ができるし、世界の一線の方と話ができ、その時間は相手を独り占めできるのですから。普通望んでも会えないような人への取材が、「毎日新聞」という名刺を使って実現できるのは、この仕事の醍醐味だと思います。
どのように家庭と仕事を両立させていますか?
大変恵まれていることに私の夫は料理が大好きなので、炊事の部分に関してはほぼお任せしてしまっています。他の家事については、協力し合って一緒にするようにしています。
これからどんなことをしたいと考えていますか?
新しい分野にも怖がらず、自分の人見知りを抑えて、挑戦を続けたいですね。科学環境部も社内ではまだ小さな勢力なので、影響力のある部署にしていきたいです。一目置かれるような存在になるためには自分も影響力ある、インパクトの大きい記事を書いていきたい、と思っています。
これから同じ職種に就きたいと思っている人にアドバイスをお願いします。
記者になるには、高い作文能力や体力、豊富な知識などの特殊技能は必要ありません。私も人見知りで、文章も月並みだし、体力に自信がある訳ではありませんでした。でも、記者の仕事はできています。つまり、誰でもなれる職種なんです。
逆に一分野しかダメ、という人が来ると困ってしまいます。というのも、私たちは世の中すべて、全世界、場合によっては宇宙まで、という非常に幅広いものを対象に記事を書いているわけですから、どんな分野でもより好みせず、興味を持てる人材が、良い新聞を作るためには組織として必要なのです。メディアの中での新聞の位置づけがどうなるかは、不透明なところもありますが、様々な発想、アイデア、感性を生かして、ぜひ挑戦していただきたいと思います。
学生へのメッセージをお願いします。
社会に出るということは、なんらかの制約を課せられるということです。時間にせよ、興味を持つ方向性にせよ、その制約が全くないというのは学生のうちだけです。なんでも、興味のもったことをシャワーのように浴びることができるのは学生のうちです。社会に対して自分が何をできるのか考えたり、今まで関心のなかった方向も向いてみたりすることで新しい発見があると思います。広い視野を持って過ごして欲しいですね。
インタビューを終えて( ハナジョブ学生記者)
取材をして、記者に必要な素質というのは、何も文才や知識だけではないのだということが分かりました。物怖じせずにドアを叩き、話を聞きに行く積極性。永山さんは自らを人見知りする性格だとおっしゃっていましたが、それを克服し、今記者として一線でご活躍する背景には永山さんのハングリー精神、探究精神があるのだと感じました。
記者という仕事
テレビ局や新聞社など報道機関に所属して、記事を書くのが記者という仕事。
「夜討ち朝駆け」なんて言われることもありますが、スクープのためには深夜でも早朝でも現場に駆けつけて取材をする、というなかなかにハードな仕事!
最初は体力的にハードな部署で記者としての基本を鍛えられ、その後専門的な部署に配属される、というのが多いパターンです。
あこがれる人は多いけれど、全力で取り組む事ができなければ難しい仕事でもあります。仕事は完全に体育会系!それに負けない精神でがんばらなければいけません。