ある日の日曜日の午後、栄区にある野七里ケアプラザに向かってみると、元気な子どもたちの声とカラフルな光景が目の前に広がってきました。そこでは子どもたちが親御さんと一緒にコスチュームを作るワークショップが開かれていました。
ワークショップを主催者するのは、2児のお子さんを持つお母さんとして、そしてアーティストとして栄区で活動しているASADAさん。そんなASADAさんの人生や働き方についてインタビューをしました。(2015年3月時点の情報です)
自暴自棄の時代からもう一度アートの道へ
高校のときに具象彫刻の作品を作りたくて、東京造形大学に進学しました。だけど、実際に入ってみたらおもしろくなくなっちゃって。ちょうどそんなときに幕張メッセですごく大きな現代アートの展覧会があって、それをみた瞬間「これだ!」と思った。そう思うのと同時にね、ほとんど大学には行かなくなりました(笑)。4年生のときは、卒業制作があったから心を入れ替えて大学に行って。優秀作品になるくらいがんばったので卒業できました。
大学卒業後は適当にフラフラしながら自分の好きな作品を作っていこうと思っていたんだけど、父親を介護しないといけない状態だったからそんな風にはいかなくなって。作品は作れないし、家帰ると親の介護があって、付き合っている彼氏と全然デートにも行けないし、そういうこと生活を続いていくうちに私何やってるんだろう、と自暴自棄になっていました。
私が20代後半のときに両親とも亡くなって。その出来事が逆にふっきれたっていうか、なんにも背負うものがないでしょ、親が2人共病気でいなくなると。そのとき結婚もしてなかったから本当に自由っていうか、何やっても自分の責任で。そのときに、もう一回アートを死んでもいいと思うくらいやってみようかなと思ったんだよね。それから今までやっていた仕事も全部やめて。とりあえず親が残してくれた家もあるし、貯めていた貯金を切り崩しながら自分の作りたい作品を作り始めたの。だから私、20代のときには丸々アートに関わってなくて、30歳になってまた始めたようなものなんだ。
お金を稼ぐことだけが仕事ではないということ
今の時代にアーティストっていうと草間弥生さんとか名前が出てくるよね。そういう人は大手をふってアーティストだと言える日本では数少ないひとたち。ほとんどのアーティストはアーティストと名乗って仕事をしていてでも、作品を売って得られるお金はわずかなの。アーティストとして活動するために副業している人はたくさんいます。私の場合はデイサービスの送迎を副業にしている。それほどアーティストって未知な職業だと思うし、 複雑な職業でもある。
仕事というのは、最低限の生活をするために必要なものだと思っていました。でも、最近はそれだけじゃないなと思い始めたの。本当に最近のことなんだけど。アーティストでいるために他の仕事をするとしても、私のメインの仕事はアーティストな訳で。それを社会の中で自分らしくとどめていくことが仕事なのかな、と最近は思っています。よく主婦の方とか仕事をしないでどうなのって話とかあるけど、社会の一員として考えたらお母さんという仕事をやっていると思うんだよね。アーティストもそれと近い気がする。
アーティストとして、自分がいいと思って作った作品が売れなかったとしても、アートに関わるために他の仕事をしたとしても、自分が社会の一員でいれるのはやっぱりアーティストとしての自分があるからなのかな、って。そういう意味での仕事かな。だからお金で稼ぐことだけが仕事じゃないなと最近強く感じています。
取材を終えて(学生記者:田村優衣)
ASADAさんに大学生にメッセージは?とお伺いしてみたところ、若いときにしか楽しめないことはいっぱいあるから、そういうことをものすごく楽しんでほしいなというメッセージをもらいました。そして楽しさはそのときそのときで変わるとも。様々な経験を乗り越えてきたASADAさんは自分を持った、芯のある女性でした。
しかしそれだけに囚われることなく年を重ねていくうちに新たに出てきた自分の変化も受け入れながら楽しんでいる姿は、柔軟でもあり人生の先輩として憧れる姿でもありました。 ASADAさんの思いが現れた作品もとっても素敵な作品ばかりでぜひ見て欲しいです。 ASADAさん、ありがとうございました!