マドレボニータの連載「母となって働く」と連動した、代表の吉岡マコさんのスペシャルインタビューです!2015年夏休み特集として、全4回でお届けします。(第1回目、第2回目)
NPO法人マドレボニータは、出産後の女性のための心と体を健康にするためのエクササイズとコミュニケーション力を取り戻すワークを全国の女性に届けています。
マドレボニータが提唱しているのが“Live Your Life”。いったいどんな意味が込められているのでしょうか。
マドレボニータを立ち上げた、代表の吉岡マコさんの「これまで」と「これから」を伺いました!(2015年7月時点の情報です)
「どんな神隠しにあったのだろう。次に自分らしく生きられるのは来世かな」
大学院生のときに妊娠、24歳で出産したマコさん。出産して世界ががらっと変わってしまったそうです。
母親としてしか見てもらえない
マドレボニータを立ち上げたきっかけを教えてください。
24歳で出産して母親になったとき、世界がガラッと変わりました。今までの自分がいなくなって、次に自分らしく生きられるのは来世だなと思ってしまうくらい。
母親になって赤ちゃんを連れていると、お母さんとしてしか見てもらえない。
乳飲み子を抱えた女性は何かを創造する存在ではなく、消費者にしかなり得ない、そんな偏見を感じました。消費を通してしか社会と繋がれないなんて、つまらないと思いました。
例えば、どのようなことですか?
子連れで出かけると、離乳食とかベビー服とか、子どもの話ばかり。
どういう小説が好きとか、どんな音楽を聴いてるとか、映画監督は誰が好きかとか、そういう話ができる雰囲気じゃなくて。
「どんな神隠しにあったのだ」と思ったほど。
これって、母親というアイデンティティを生きさせられているということ。
「ここでは子どもの話をしなければいけない」という思い込みで、自分の話ができない、場のプレッシャーがあると思いました。
でもそういうプレッシャーを取り除けば、一人の女性としても存在できるはず。そういう人に出会いたいなと思って、この教室を始めました。
シングルマザー、契約社員から始まった
出産して数ヶ月後、父親となる人と離別。一人親として子どもを育てていく方法を模索し始めたマコさんでしたが、食べていくことは簡単ではありませんでした。
教室を始めたものの、4か月で挫折
教室を始めたのが1998年で、NPO法人化して8年経ちますが、それまでどのようなことがあったのでしょうか?
教室を始めてから法人化するまでの創業期に、すごく時間をかけました。インターネットもない時代、子どもまだ0歳だったので、自分の納得いくペースでゆっくりやっていました。
実は、この創業期に一度挫折しているんです。
出産して何か月か経って、子どもの父親となる人と離別しました。その人は外国人でした。結婚してギリシャのオリンポス山というところで暮らそうと計画していたんですよ、本気で。
でも出産後の一番大切な時期に一緒にいられなかったことで、気持ちがどんどん離れていきました。結局、子どもが8か月になる頃、私は日本で暮らすことを決意し、自分で仕事をして、ひとり親として子どもを育てていく方法を模索し始めました。
決断するまでは、何度も、何度も葛藤しましたし、決断してからもいろいろタイヘンでしたが、それはまた別の話…ということで。
最初からシングルマザーとしてお子さんを育てられたんですね。挫折とおっしゃいましたが、どんな挫折があったのでしょうか?
4か月間教室を続けたけれど、これでは食べていけない、と断念しました。
親の紹介で、ある出版社の契約社員になりました。働いたのは1月から6月までの半年間。時給で稼ぐお金は月に15~16万円。
有給休暇などはなく、保育園から呼び出しが来るとさらに減りました。都からひとり親の手当が月4万円、収入が最下層だったので保育園代は0円。それでなんとかしのいでいました。1999年頃のことです。
時間に制約があるから、正社員にはなれなかった
正社員でないと、収入面でとても厳しいんですね。
月曜日から金曜日、9時半から17時半まで働き、土日は疲れてぐったり。また、定時の17時30分にあがっても、保育園に到着するのは18時15分。
冬の18時は真っ暗。子どもが1人だけ残っているところに迎えに行くのが、すごくつらかった。園庭に子どもたちがいっぱいいる、そういう時間に迎えに行きたかった。
でもそこで働いている限り、保育が終わる閉園ギリギリの18時15分にしか迎えに行けない。
試用期間が終っても契約社員ということがわかって、正社員として就職できるところを探し始めました。でも全然ない。
子どもを育てながら正社員の仕事を探すのは、本当に大変なんですね。
実家の近くに引っ越して、夜遅くまで働けるようにしようかと考えたり、かなり現実的なところまで考えていました。
でも、正社員になることが目的なんだろうか?と立ち止まると、そうじゃないなと気付きました。
教室をやめている間に、やっていた頃の新聞記事を見てくれた人がいて、常に問い合わせは来ていました。ニーズはあるし、応えたい。でも、需要と供給がマッチしないんだよなあ、と苦い気もちで逡巡していました。
閉園ギリギリにしか迎えに行けない契約社員より、時間を自由に使えるアルバイトを選んで教室を再開
正社員を探すのをやめて、子どもを早く迎えに行けて教室を再開できる働き方を選んだマコさん。働き方を変えて、どんな変化があったのでしょうか。
17時という明るい時間に子どもを迎えに行ける生活へ
正社員になることが目的ではないと気づいた後、どんな選択をされたのでしょうか?
はい。あくまでも1999年の頃の話ですよ。正社員の募集記事を読むのをやめて、アルバイトを探しました。フィットネスクラブでアルバイトが決まり、会社を半年で辞めた次の日から、そこで働き始め、3年間勤めました。週一回だけ教室を開いて、残りの日はアルバイト。時給750円スタート、辞めたときで840円でした。今の東京都の最低賃金より低いですね。
シフトは休憩なしの9時~15時、月曜から土曜日までの勤務。お休みは水曜と日曜。その水曜日に教室を開きました。アルバイトで8万円、教室は受講料1万円だったから10人で10万円、場所代が2万円、残るお金は8万、足して16万。
計算してみたら、会社勤めしていた時と収入はあまり変わらない。でも、自分の使える時間がまったく違う。15時でシフトが終わったあと、ジムでトレーニングしたりレッスンに出たりして自分の勉強のために時間をつかい、それでも17時という明るい時間に子どもを迎えに行けました。
会社に合わせるのではなく、自分のライフスタイルに合わせて仕事をしたい
アルバイトは時給が低くても、時間の融通がきくというメリットがあるんですね。
1時間違うだけで、保育園の環境が違うんです。私の心にも子どもの心にも、大きな変化がありました。
私にとっての、保育園にお迎えにいく時間が18時から17時になるというその1時間の差は、雇い主にとっての、従業員の勤務時間1時間と、まったく意味の異なるものだったのです。当時の私には、その1時間は譲れない1時間でした。
収入が変わらないのに自由な時間が増えるなら、こっちの働き方の方がずっといいですね。むしろ、正社員になっていたら、今のマドレボニータはなかったかもしれないんですね。
もっと頑張れば正社員になれたかもしれないし、その選択肢もあったかもしれないと思うときもあります。
でも、その道をあきらめて、本当にやりたいことをやるからには、会社に合わせて自分のライフスタイルを妥協するのではなくて、お迎えに行きたい時間に合わせて仕事をする、そういうやり方でスケジュールをデザインしました。
教室がある日は10時から12時まで教室、そのあとの時間でプログラムの研究をしたり文章を書いたり、教室の振り返りをしたりして、プログラムを改良することに専念できました。
教室に参加したいという人も増えていったので、教室のコマ数を増やして、アルバイトを週5から週4に減らしていきました。起業という感じではなくて、アルバイトをしながら教室を細々とやっていた感じです。ほんとに起業したといえるのは2006年、法人をつくったときですね。
つづく
(第4回はこちら)
吉岡マコ
NPO法人マドレボニータ代表。
1972年生まれ。東京大学文学部で身体論を学び、卒業後、同大学院生命環境科学科で運動生理学を学ぶ。1998年に出産。その辛さや産後女性のサポート体制がほとんどないことを知り、産後ケアのヘルスプログラムを独自に研究開発、そして教室を開講。
2007年にNPO法人マドレボニータを設立し、企業・行政・大学とも連携しながら、プログラムを普及させている。また、産後女性の体と心に関する調査研究事業も積極的に取り組み、「産後白書」を3まで出版している。
2014年6月には、マドレボニータが日本日経新聞社主催の「第2回日経ソーシャルイニシアチブ大賞」において「国内部門賞」、2015年3月にGoogleインパクトチャレンジ「Women Will賞」を受賞している。
マドレボニータはスペイン語で「美しい母」。母となった女性が主体的な人生を歩むことのできる社会を目指し、「産後」を起点とする社会問題に取り組んでいます。
「美しい母がふえれば、世界はもっとよくなる」をキャッチフレーズに「子育ての導入期」という最も不安定な時期にある女性の心と身体の健康をサポートしています。
現在は、産後の心身のリハビリに特化した「産後のボディケア&フィットネス教室」を運営する〈教室事業〉、教室運営を通じて産後女性に寄り添うプロフェッショナルである「産後セルフケアインストラクター」を養成する〈養成事業〉、「産後」という社会問題をより広く啓発していくことを目的とした〈研究開発事業〉の3つの軸で活動しています。