伝統工芸を活かしたアクセサリーの制作・販売を行う「KARAFURU」の代表、黒田幸さん。蒔絵を施したパールのネックレスなど、作り手の想いが伝わるさまざまな作品は20代から70代まで幅広い年齢の方に愛されています。そんな黒田さんは、ユニークな経歴の持ち主。学生時代から今の仕事に至るまでを詳しく伺いました。(2015年5月時点の情報です)
「ここじゃない」と悩んだ大学生活
どのような学生生活でしたか?
私が高校生だったのは今から20年ほど前。日本がゴラン高原のPKOに参加し国内で議論が起こっている時代でした。社会問題としてニュースでも良く取りあげられており、国際協力に強く興味を持って防衛大学に進学しました。座学に加え、訓練もある全寮制の学校です。
ところが、いざ入学してみると思い描いていた学生生活とは大きく異なりました。今まで自分が生きてきたところとは、まったく違う世界だったのです。下調べをせずに進んだ私が大ばか野郎だったのだけれど(笑)。
どのような点が思い描いていたものと違ったのですか?
まず圧倒的に男性が多い。女性であることがどうしてもハードルになってしまう世界で、それを乗り越えないと同じ土俵に上がれません。途中で辞めてしまう女子学生も多く、入学時は40人ほどいた女子が卒業時には20人ほどまで減っていました。
私は最後までやってみないとわからないこともあると思っていたので辞めませんでしたが、それでも集団生活や隊員さんとの交流の仕方に悩むことも多く、「ここじゃないのかも」という思いを最後の1年間持ち続けていました。仕事そのものはとてもやりがいがあり魅力的だったのですが、結局自衛官の道は選びませんでした。
卒業後は一転、雑誌編集の世界へ
大学卒業後、どういった仕事に就いたのですか?
在学中は厳格な寮生活で平日は外出できないので、就職活動はできません。卒業後に新聞の求人広告を見て仕事を探し、5月に出版社で雑誌の編集者として働くことが決まりました。社長が私の経歴を見て、面白そうだなと拾ってくれたのだと思います。
編集は、自分が興味のあることを見つけてきて、それをページに落とし込むという仕事。やること自体はシンプルなので、初めての仕事でしたが「できない」と悩むことはありませんでした。周りの編集者がとにかく面白い人たちばかりで、とても楽しい職場でした。
私は家族経営でやっているような海外のものづくりに興味があり、そういった場所へ取材によく行きましたね。出版社で4年ほど働いて、その後イタリアに留学しました。
言葉もわからず飛び込んだイタリア
留学を決めたきっかけは何でしたか?
取材をして紹介するだけでなく、もっとものづくりに関わりたいと思うようになっていました。また、学生時代に狭い世界にいたので、周りの編集者に比べて「発想の自由さに欠ける」と感じることが多かったのです。みんな会社には来ないし、本当に自由なんですよ(笑)。
それで、会社を辞めて別の世界を見ようと。子供の頃から、怒られるくらい遠くに遊びに行くことが大好きで、日本を離れることにもまったく抵抗がなかったですね。
なぜ行き先はイタリアだったのでしょうか?
イタリアは世界一社長が多い国だと言われています。家族経営など小規模でものづくりをして、それを世界に発信していくのがとても上手なんです。そんなものづくりの現場を見てみたくて、行き先はイタリアに決めました。
イタリア語はまったくわからなかったので、まずはイタリア国立の外国人大学に入って語学と文化を勉強しました。半年で日常会話程度は話せるようになり、その後はフリーの編集者として日本の雑誌社から仕事をもらいながら、学校に通いました。
現地のコミュニティにはすぐに馴染めましたか?
実は、大学の近くで住む部屋を探していて紹介されたのが、シエナ大学の新入生ばかりが住んでいるシェアハウスだったのです。私は当時26歳で、ルームメイトとはかなり歳は離れていたのですが、すぐに仲良くなりました。最初から年下の仲間がたくさんいる感じでしたね。
イタリア人はホスピタリティ精神にあふれていて、面白い出来事がたくさんありました。イタリアに着いた初日に「電話をかけられるところに連れていって」とお願いしたら、なぜか全然知らない男の子の部屋に連れていかれて(笑)。後からわかったことですが、シエナ大学のイケメンと呼ばれる男の子たちを紹介しようと連れて行ってくれたらしいです。 ルームメイトと関わる機会が多かったので、「日常会話だけはよく覚えているね」と先生に言われていました。
日本の伝統芸能、職人さんとの出会い
留学を終えて、選んだ次の道は何だったのでしょうか?
イタリアでは結局2年と少し暮らしました。「帰国後は日本の文化に関わる仕事がしたい」「編集とは違う仕事もしたい」と周りの人に話していたら、歌舞伎関連の新規事業立ち上げに関わる仕事とめぐり会うことができました。
新規事業の一つにウェブサイトやフリーペーパー等のメディア開発があったので、編集のスキルがあり、かつそれ以外のこともやりたいと思っている人をちょうど探していたそうです。
そこでの経験が、起業へとつながったそうですね。
事業の一つに、歌舞伎の舞台衣装や小道具の職人さんたちと一緒にものづくりをするという企画があり、これが起業のきっかけとなりました。ビジネスとしても大きな可能性があるなと感じていたのですが、規模やスピード感の問題で社内では事業化できなかったのです。
でもどうしてもやりたくて、会社の中でできないのなら自分でやるしかない、と思い起業することにしました。だから、もともと起業すると決めていたわけでも、起業家になりたいと思っていたわけでもないんですよ。
日本の「良いもの」を日常へ届ける
なぜ、アクセサリーという形で販売することにしたのですか?
起業した当初は、伝統工芸の技術を使って何かを作りたい、ということだけが頭にありました。最初は染物や織物の技術を使ってアパレルの事業をしたいと思っていたのですが、アパレルだと小ロットでは採算が合わず、職人さんに払うフィーとのバランスが全く取れなかったのです。
小ロットで作れて、海外にも持っていけて、日常生活の中で年代関係なく使えて、と試行錯誤した結果、アクセサリーに辿りつきました。
一番印象に残っている商品はどのようなものですか?
思い入れがあるのは、パールに蒔絵を施したアクセサリー。一番初めに作った商品です。知り合いの漆職人さんからは技術的に難しいと言われ、できる人をインターネットで探しました。
電話をした翌日に京都で打ち合わせをしたのですが、その日に偶然開催されていた漆の展示会に連れていってくださり、職人さんをたくさん紹介してくれたのです。トントン拍子に話が進んで、職人さんもやる気になってくれて、商品もすぐに売れ始めました。 伝統工芸なんて知らないような若い女の子が、「蒔絵がかわいい~!」と言って買ってくれているのを見ると、嬉しいですね。
起業という働き方が向いていた
お話を伺って、黒田さんはチャンスを掴むのが上手だという印象を受けました。その裏にはたくさんの努力があるように思うのですが。
こう言ってしまうと良くないかもしれませんが、私は努力することは苦手で、おそらく「がんばりやさん」ではないのです。苦手なことに対しても懸命に取り組む大学の同期の姿を見て、私には努力する才能はないのだなあと感じましたし、今も思っています(笑)。好きなことや得意なことは努力できるのですけどね。
ちなみに、得意なこと・不得意なことは何ですか?
新しいことを考えることや、どうやったらできるかやってみることが得意ですね。苦手なことは、決まっていることをやること。
みんなも本当はコツコツ決められたことをやるのは苦手だけど努力しているのだろう、と思っていたのですが、昔の仕事仲間が「新しいことを自分で考えるのがとてもつらい。言われたことをきちんとやっていきたい」と悩んでいて。「こんな人もいるんだ!」と目からウロコが落ちました。
起業してからは、得意なことは自分で努力し、苦手なことは人に任せられるので、起業という働き方が向いているのだと思います。
好きだからという理由でやったことは後悔しない
これからの夢を教えてください!
今は事業を始めて4年目です。今後、ブランドの世界観を表現できる店舗も構えたいと思っているのですが、プライベートでは夏に出産を控えています。
起業した頃に結婚したのですが、仕事が少し落ち着いて環境を整えてから子どもを産もうと思っていました。今は、出産後のための準備をしているところです。どうやって働いていくのかは、これから手さぐりですね。
最後に、学生へのメッセージをお願いします。
世の中はすごく変わっていくなあ、と大学を卒業して何年も経ってから感じています。これからも世の中は変化していくだろうし、何が正しいかなんてわからないですよね。
きっと、「これが正しい」と思ってやったことが間違っていたら後悔すると思うのですが、「これが好きだから」という理由でやったことは後悔しないと思うんです。だから、好きなことを思い切ってやれるような環境を作っていくと、良い人生になるのではないかと思います。
取材を終えて
黒田さんのこれまでのさまざまな経験を伺って、一度決めた進路に必ずしも固執する必要はなく、「やってみたい!」「これが好き!」という気持ちを大切にしていきたいと思えました。 黒田さん、お忙しい中取材にご協力いただきありがとうございました。私もお金を貯めて、いつかKARAFURUのアクセサリーを買いたいです!
プロフィール
黒田幸(くろだゆき)
株式会社KARAFURU代表 熊本県生まれ。国際平和維持活動に憧れ、防衛大に進学。しかし、卒業後は雑誌編集者の道へ。イタリアでの生活、メディア制作の仕事を経てKARAFURUを設立。日本の伝統工芸継承を目指しそれらの技や素材を活かしたジュエリー、雑貨の企画・制作・プロデュースを展開している。