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	<title>星野まりな &#8211; わたしの未来のキャリアが見つかる｜ハナジョブ for Girls</title>
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	<description>あたらしい、わたしらしい働きかたと出会う</description>
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	<title>星野まりな &#8211; わたしの未来のキャリアが見つかる｜ハナジョブ for Girls</title>
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		<title>未来のあなたへ　〜先人たちの姿〜　【看護師編】</title>
		<link>https://hanajob.jp/mirai01-2/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[星野まりな]]></dc:creator>
		<pubDate>Wed, 15 Nov 2023 04:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未来のあなたへ]]></category>
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					<description><![CDATA[私たちはどんな先人たちの肩の上に乗っているのでしょうか。この企画では、毎回一つの視点から今は亡き先人たち三人をピックアップして紹介します。 一から読むもよし、気になる人だけ覗くもよし、飽き性なあなたもつまみ食い！ 初回の [...]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="kakomi">
<p><span style="font-weight: 400;"> 私たちはどんな先人たちの肩の上に乗っているのでしょうか。この企画では、毎回一つの視点から今は亡き先人たち三人をピックアップして紹介します。</p>
<p>一から読むもよし、気になる人だけ覗くもよし、飽き性なあなたもつまみ食い！</span></p>
<p>初回の今回は看護師にフォーカス。すると、三人の生き様を超えて、看護という職が「ただの雑用」から「高度な専門職」として世の中に広まるまでの軌跡が見えてきました。 </p>
</div>



<h2 class="wp-block-heading">『覚え書き』と最新技術のコンビネーション　～ナイチンゲール～</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>世界が認める英雄、ナース</strong></h3>



<p>看護師が医療関係者であることを疑う人は現在おりますまい。昨今のパンデミックでの活躍も記憶に新しく、もう足を向けて寝られません。バンクシーはスパイダーマンのおもちゃを捨てて看護師の人形で遊ぶ子どもの絵を描いたほど。あれ、印象的ですよね。</p>



<p>しかし、そんなふうに考えられるようになったのは紀元前からの医療の歴史上、かなり最近のこと。もちろん、現在の看護師にあたる様々なケアや処置を行う人は昔からいたのですが、それは傷病者の雑用係や医者の助手と捉えられていました。そんな中、<strong>看護を専門的かつ適切な知識をもとに傷病者の不自由や苦しみを軽減させ、健康的な生活を創り上げるプロフェッショナルとして世に知らしめた</strong>のが、かの有名なフローレンス＝ナイチンゲールです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>ナイチンゲールの凄さとは</strong></h3>



<p>フローレンス＝ナイチンゲールはどんな小さな図書館にも伝記漫画があるくらいの有名人。表紙には大抵、袖なしエプロンにロングドレス姿ですっと立つ姿が描いてあります。しかし、ナイチンゲールがそんなふうに臨床に立つことができたのは90年の人生の中でたったの3年ほど。クリミア戦争後は感染症による体力低下であまり動くことができなくなっていたのです。</p>



<p>そう、評価されている点は臨床での働き以上に、その後の著作や教育などの活動にあります。中でも大きな影響を与えたのが、看護を定義し、その在り方を提言した<strong>「看護覚え書き」</strong>（1859年初版）。自然治癒力などの科学的な知見、看護をするものの心得など臨床の場ならではの考えや経験など、<strong>現代で「当たり前」とされる事柄</strong>がまとめられています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>影響は革命級</strong></h3>



<p>さて、実体験として何かしらの必要性を感じることができたとしても、それを他者に訴え、社会で徹底するのはなかなかに難しい・・・。ナイチンゲールの凄さはそれをやってのけたことにあります。「当たり前」を築くことは言い換えれば革命！ </p>



<p>ナイチンゲールの影響力は文字通り革命級で、現在では医療衛生改革と呼ばれています。もちろんさっきの本一冊で成し遂げたわけではなく、統計学という相棒とともに一生をかけて、多角的に展開されました。</p>



<p>ナイチンゲールが看護を雑用ではなく「患者の健康的な生活を創り上げること」と定義し、その専門性を広く認知させたことによって、それに従事する看護師たちも雑用係ではなく訓練されたプロとして見られる流れが生まれます。その大きな流れは遠く離れた、明治維新に沸く日本にも！</p>



<h2 class="wp-block-heading">落ち延びと勲章の看護師　～新島八重～</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>お江戸の医療事情</strong></h3>



<p>江戸時代、庶民の間では薬や鍼灸が身近な健康医療法として浸透していましたが、それに加えて町医者に診てもらおうというときには、落語でよくあるように、医者を呼ぶ往診が基本で病院というものは存在しませんでした。</p>



<p>本格的に西洋的な看護の体勢が整えられ始めたのは明治中期。庶民から上層部まで大混乱だったあの時代、新しい職である看護師として働いた人にはどんな人がいたのでしょうか？</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>会津戦争を生き抜いた新島八重</strong></h3>



<p>新島八重は夫が亡くなったことをきっかけに当時、災害と戦時救護を目的としていた日本赤十字社の正社員になりました。その後、日清戦争での活動を讃えられ勲章を受賞します。悲しいことに<strong>日清戦争は結果的に看護師という職が知られる契機</strong>となったのです。しかもこれは<strong>一般人の勲章第一号</strong>の一人という名誉！</p>



<p>新島自身もこれを機に出世しますが、新島は会津藩出身で、23歳のときに会津戦争を経験しています。その際は砲弾の飛ぶ中、西洋式鉄砲の心得を生かして藩主へ砲弾の解説をするとともに救護もしたとか。会津戦争では落ち延び、日清戦争では勲章、複雑な気持ちだったのではないでしょうか…。何にしても、会津戦争での救護活動は経験であって、理論体系、ましては職業と結びついたものではありませんでした。新島が「看護」というものを知るのはもうちょっと先のこと。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>看護との出会い</strong></h3>



<p>鉄砲のエキスパートであった新島八重が西洋的看護を知ることになったきっかけは夫の新島襄にあります。同志社大学の創設者である襄は医学教育への関心も高くナイチンゲール縁の聖トマス病院を早い段階で目にしていました。二人が結婚した頃には、同志社病院と京都看護婦学校が発足し、ナイチンゲールに師事した米国人看護師が着任します。</p>



<p>ちなみに襄は八重の「ハンサムな生き様」に惚れ込んだんだとか！八重も襄を慕い、二人は仲がたいへんよかったそうです。八重がとった看護師という選択は、襄から得た知見の一つを亡くなった後の生活の軸にするということ。亡くなった後も共に生きていくということ。もしそんな風に捉えたなら、「過去の経験を活かす」という言葉だけでは伝わらない粋な心を感じます。これはちょっとロマンチストが過ぎるでしょうか？</p>



<h2 class="wp-block-heading">ハードモードなアメリカンドリーム　～ヒルデガードペプロウ～</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>「覚え書き」のその先へ</strong></h3>



<p>さて、ここまで看護が職業的訓練の必要な専門的な行為として世界で認識され、それを学ぶ環境が整えられたと繰り返し伝えてきました。ただし、ナイチンゲールの著作が「覚え書き」であることからも分かるとおり、二人の時代の看護には高度な学問的体系はまだありません。それゆえに看護師の地位は医者と比べると大幅に低く、その状況は長く続くこととなります。</p>



<p>そんな中いち早く、<strong>看護の大学院教育の必要性を訴えた一人であり、患者との対人関係に注目した理論を執筆</strong>した人物を最後に紹介しましょう。ヒルデガードペプロウです。この人の人生もアメリカンドリームなんて生ぬるい一言では終わりません。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>自立できる唯一の職業としての看護師</strong></h3>



<p>第一次大戦後の1919年、ペプロウは労働階級の移民二世として米国に生まれます。ドイツ系であるため、家庭内は張り詰め気味でしたが、時は狂騒の20年。仕事や学校の傍ら友人たちとは明るく楽しく過ごしたそうな。そんなペプロウが看護師を目指した理由は、「<strong>知っている中で女性が自立して生活できる唯一の職業だった</strong>」から！</p>



<p>ナイチンゲールの創り上げた<strong>職としての看護師の立場は、数少ない女性の自立の道を提供することにもなっていた</strong>ことがわかります。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>未婚のシングルマザー、博士号をとる</strong></h3>



<p>第二次大戦が始まるとペプロウは英国で活動、そこでの経験と姉の精神疾患が精神に注目する契機となります。投薬と休息のほかに、患者との対話が精神疾患の改善に大きく貢献することに可能性を見ていたそうですが、驚きなのはそれが細かい体重管理によって妊娠を隠しながら働き続けた際に得たものであるということ。</p>



<p>英国から帰国後出産し、娘の父親と円満に別れ、兄弟などの協力を得つつ子育てをするのですが、さらにさらに持ち前の勤勉さと人の縁、提案力から大学院に進学するチャンスを獲得。勉学に励みながら著作も執筆。対人関係を重視した看護理論を示したペプロウの代表作であり、看護論の古典として現在も読まれている「人間関係の看護論」はそんな、人間ってこんなマルチに動ける生物なのか！と驚かされる状況下で執筆されたものなのです。</p>



<p>当時の手紙に溢れているのは娘への愛と、人間関係の苦労、単位取得の大変さ、一つ一つを見てみればとても素朴で共感さえ覚えます。その事実は励みになるような、ならないような・・・。</p>



<div class="kakomi">
<p><span style="color: var(--body-color); font-family: var(--text-font); font-size: inherit;" <="" span="">執筆後記<span></span></span></p>
<p>今回は看護を発見し、その発信に多角的に力を尽くしたフローレンスナイチンゲール。価値観との大変革の時代にあって、自分の居場所を見出し続け、その結果、看護師の知名度向上に貢献した新島八重。欲しいものを手に入れんとする勇気に溢れ、患者との関係に注目した看護理論によって看護学の高度な専門性を追求したヒルデガードペプロウ。この三人の人生を垣間見てきました。</p>
<p>　新たなものを発信する者、それを受け入れる者、発展させる者、三者に共通するように感じるのは、<b>「思いを自分の中に留めず社会とのつながりを忘れない姿勢」</b>です。居心地が良かったり、逆に大変なことがあると自分の世界や馴染みのある場所にずっといたくなったりするものですが、自分とは違う世界への眼差しを忘れずにいる事が何かを成すには重要なのかもしれません。</p></div>



<p style="font-size:12px">参考文献</p>



<p style="font-size:12px">「新島八重　スペンサー銃からバイブルへ八十七年の軌跡」<br>著者：笹川壽夫　発行所：株式会社新潟日報事業社　発行年：平成24年7月15日</p>



<p style="font-size:12px">「ペプロウの生涯　ひとりの女性として，精神科ナースとして」<br>著者：バーバラj. キャラウェイ 発行所：株式会社　医学書院　発行年：2008年4月1日</p>



<p style="font-size:12px">人道研究ジャーナルvol.9　2020　特集３　ナイチンゲール生誕200年「ナイチンゲールが残した知られざる八つの業績」金井一薫</p>



<p style="font-size:12px">「特集　鼎談　同志社医学教育の歩み-同志社病院と京都看病婦学校-」2014年<br>h<a href="//www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PAGE-JA-2165/61746/file/139_008.pdf" target="_blank" rel="noreferrer noopener">ttps://www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PAGE-JA-2165/61746/file/139_008.pdf</a></p>



<p style="font-size:12px">「江戸時代の医学」国立科学博物館<br><a href="https://artsandculture.google.com/story/DQVBTRP0HptAJQ?hl=ja" target="_blank" rel="noreferrer noopener">https://artsandculture.google.com/story/DQVBTRP0HptAJQ?hl=ja<br></a>※令和５年７月３日最終閲覧</p>
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		<title>「やってみよう」から広がる世界。心に素直に、チャンスに敏感に、「移住」という決断の裏にある小さな選択たち。（集落支援員）</title>
		<link>https://hanajob.jp/workstyle172/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[星野まりな]]></dc:creator>
		<pubDate>Sun, 04 Jun 2023 10:00:48 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[先輩インタビュー]]></category>
		<category><![CDATA[NPO]]></category>
		<category><![CDATA[公務員]]></category>
		<category><![CDATA[地方]]></category>
		<category><![CDATA[移住]]></category>
		<category><![CDATA[集落支援員]]></category>
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					<description><![CDATA[「移住」という行為にスポットが当たった記事が世間に多い中で、「そもそもどんな目標の手段として移住が機能しているのかを知りたい！」という思いから、埼玉から長野の農村へ移住した西澤仁美さんにインタビュー。集落支援員として働く [...]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="kakomi">
<p><span style="font-weight: 400;"> 「移住」という行為にスポットが当たった記事が世間に多い中で、「そもそもどんな目標の手段として移住が機能しているのかを知りたい！」という思いから、埼玉から長野の農村へ移住した西澤仁美さんにインタビュー。集落支援員として働く西澤さんの「田舎暮らし」という言葉からでは見えてこない個人の人生の選択に迫ります。
 </span></p>
</div>



<h2 class="wp-block-heading">「もっと知りたい！」日々の活動の先にあった移住という選択</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>日々どのようなことをなさっているのでしょうか。</strong></h3>



<p>長野県の北にある木島平村という農村の役場で、集落支援員として移住や定住の推進、空き家バンクの運営や学生連携などに携わっています。</p>



<p>その他にNPO法人「太陽と水と緑のプロジェクト」の理事や「みどりのたね」という個人商店の従業員などをしています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>たくさんのことをやられているのですね。どのように両立していらっしゃるのでしょうか。</strong></h3>



<p>メインの仕事は集落支援員で勤務時間が決まっているので、時間の使い分け方としては都会で働く場合とあまり変わらないと思います。NPOでの活動はそれ以外の時間で取り組んでいます。</p>



<p>ただ仕事やNPOの活動内容が、生活に根ざした「地域」と関わることが主なため、私生活と仕事の境界は曖昧です。それ自体を負担に感じることはないのですが、「これは公的な業務か？」という点は必ず意識をして区別をするようにしています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>なるほど、仕事をする上で、田舎ならではの良いところややりづらいところはありますか</strong>？</h3>



<p>どちらも挙げきれないほどたくさんあります。</p>



<p>田舎ならではといえば、人との距離の近いが故に、田んぼのあずまやでオンライン会議をしている時に、仕事をしていると思われなくて道端から話しかけられたり、自宅の通信環境が時間帯によって乱れたり、仕事環境に関しての個人的な課題はあります。周りに同じような働き方をしている人があまりいないので、最近では「こういう仕事の時はここで」というような自分なりの型を経験から作るようにしています。</p>



<p>良いところでは、リフレッシュのしやすさは大きいですね。ちょっと休憩しようと思ったらすぐ外に雄大な景色が広がっているという環境は、本当に贅沢だと思います。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><a href="https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/BF6D6D57-2B2F-49A0-ADAF-350668B7601F.jpeg"><img fetchpriority="high" decoding="async" width="1000" height="750" src="https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/BF6D6D57-2B2F-49A0-ADAF-350668B7601F.jpeg" alt="" class="wp-image-12539" srcset="https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/BF6D6D57-2B2F-49A0-ADAF-350668B7601F.jpeg 1000w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/BF6D6D57-2B2F-49A0-ADAF-350668B7601F-300x225.jpeg 300w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/BF6D6D57-2B2F-49A0-ADAF-350668B7601F-768x576.jpeg 768w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/BF6D6D57-2B2F-49A0-ADAF-350668B7601F-150x113.jpeg 150w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/BF6D6D57-2B2F-49A0-ADAF-350668B7601F-450x338.jpeg 450w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></a></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>リフレッシュしやすい環境というのは複数の仕事をこなすには特に良さそうです。移住を機に今のような複数の活動に取り組み始めたのですか。</strong></h3>



<p>そうですね。もともと、「太陽と水と緑のプロジェクト」というNPOの活動を通して木島平村とご縁ができました。そうして外から関わる内に「実際に住んでみないと分からないことがある！」と痛感して、そう感じていたタイミングで見つけた地域おこし協力隊に応募をして移住をしました。その後、新たに地域の仕事が加わり今に至ります。</p>



<p>ですので、移住の直接的なきっかけは地域おこし協力隊です。あまり深くは考えずに直感で「やってみたい！」という思いから参加しました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>首都圏からの地方移住は昨今話題ですが、西澤さんにとって移住は「知りたいことを知るための手段」だったのですね。</strong></h3>



<p>はい。地域おこし協力隊の存在自体はドラマで観てなんとなく知っていました。その時はそんな人たちがいるんだな程度に思っていて。まさかのちに自分が実際に参加するとは思っていませんでした。移住に関しても、移住したことを大学時代の友人に伝えたときに「そういえば農家の嫁になりたいって言っていたもんね。夢叶ったね。」と言われて、そんなことを言っていたんだっけと思ったくらいです。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>西澤さんにはNPOの活動が大きな影響を与えているように感じます。</strong></h3>



<p>そうですね。言われてみれば確かに、「一緒にNPOを立ち上げないか」と今の代表から声をかけてもらったことが大きかったです。その代表というのが実は私の高校時代の恩師で、退職された後にインドのスラムで教育支援の活動を始められたんです。</p>



<p>そして恩師から「活動をやめるか、法人化して続けるかを迷っている」と相談を受け、1ヶ月間代表と一緒にインドに行ってその活動を見てから決めることになりました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>いきなり１ヶ月間インドへ行くというのは急な話ですね。</strong></h3>



<p>確かにそうですね。私は誘われたらあまり断らない方です。以前にもその恩師の誘いでインドの方と関わったり海外へ行ったりした経験があったので、精神的なハードルは少し低かったかもしれません。何よりせっかくの活動がなくなってしまうのはもったいないと思い、NPO法人の共同設立を決めました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>人の縁を大切に、積極的に繋がりを作っている印象を受けました。昔からそういったことを意識されていたのですか。</strong></h3>



<p>はい。はっきりとは覚えていないのですが、そう意識するようになったのもその恩師が影響しているのかもしれません。時間は有限ですので「もう一生会えないかもしれない」「もう一生こんな機会はないかもしれない」、そういったことはいつも頭にあって、選択の基準になっています。</p>



<p>最近は、単に人脈を増やすというよりも、同じ信念を持った人と繋がりたいという思いが強くなっています。NPOの活動や、地域のことを紹介するためにインスタグラムなどを使っているのですが、既存のつながりがさらに強くなったり、同じ関心を持つ人と繋がることができたりすることはとても魅力的です。発信していてよかったなと思います。</p>



<h2 class="wp-block-heading">「どんなおもしろいことをしようかな」楽しく暮らすことで、関わった人まで元気になれる存在を目指す。</h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>しなやかで力溢れる半生だと思いました。西澤さんがしなやかでいるために特に意識していることはありますか。</strong></h3>



<p>特に意識していたわけではないのですが、その時々の目的意識や問題意識に合わせて常に行動していたと思います。「こんなことやりたい」とか「こんなことが世の中に必要なんじゃないか」とか、そういう気持ちに素直に向き合ってライフステージに縛られずに環境や自分の選択を変化させてきました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>学生時代はどんなことをやりたいと思って動いていたのでしょうか。</strong></h3>



<p>学生時代は毎日「どんなおもしろいことをしようかな」と考えていた気がします。同時に「できることはなんでもやってやろう」と張り切っていて。研究会やサークルなど大学ならではの環境に身を置いて、何かの機会に恵まれたときには断らずに引き受けていました。何かやりたくないと思うことも、のちのち何かにつながるかもと思って。そう思ってやったことも、嫌だ苦手だと言いつつ、最終的にはそれぞれ何か形になって繋がっていると今は思います。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>「いつかどんな経験も役立つ」ということでしょうか。</strong></h3>



<p>はい。でも「あのときもう少し熱心にやっておけばよかった」というような後悔をしたこともあります。ですが、その後悔だって少しでも経験をしたから感じることで、むしろあの時少しでもかじっていたからもう一度人生の中にそれをやる機会が現れてくれたのだと捉えるようにしています。</p>



<p>地方に移住してから「経験は本当に何一つ無駄にはならない」と思えることが増えましたね。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>なるほど、しかし「いつか」というだけでは私はなかなか気が持ちそうにありません…。でも、「おもしろいことをしたい」というのが根底にあったのならば、断らずに引き受けるという姿勢には「やってみたら意外と楽しいかもしれない」という思いもあったのでしょうか。</strong></h3>



<p>そうだったかもしれません。「おもしろいことをしよう」とか「楽しく暮らす」ということは今でも大切にしている感覚です。家族との日々の暮らしを楽しいものに、というのはもちろんなのですが、そこから広がって私や私の家族と関わったことで元気になったって言ってもらえるような存在。ポジティブな空間を増やしていける存在になりたいと思っています。</p>



<figure class="wp-block-image size-full"><a href="https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/3FF1AF56-3693-4367-BAAB-A0D2D6E3200D.jpeg"><img decoding="async" width="1000" height="750" src="https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/3FF1AF56-3693-4367-BAAB-A0D2D6E3200D.jpeg" alt="" class="wp-image-12542" srcset="https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/3FF1AF56-3693-4367-BAAB-A0D2D6E3200D.jpeg 1000w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/3FF1AF56-3693-4367-BAAB-A0D2D6E3200D-300x225.jpeg 300w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/3FF1AF56-3693-4367-BAAB-A0D2D6E3200D-768x576.jpeg 768w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/3FF1AF56-3693-4367-BAAB-A0D2D6E3200D-150x113.jpeg 150w, https://hanajob.jp/wp/wp-content/uploads/2023/05/3FF1AF56-3693-4367-BAAB-A0D2D6E3200D-450x338.jpeg 450w" sizes="(max-width: 1000px) 100vw, 1000px" /></a></figure>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>西澤さんはどのような人と関わると元気をもらえますか。</strong></h3>



<p>それこそ地方にはそういう魅力を持った方がたくさんいると私は思います。</p>



<p>世の中大変なこともたくさんあるし、失敗もある。それでも楽しそうにしている人はやっぱりパワフルで、失敗談すら楽しそうにお話してくれる。失敗もおもしろく聞こえてくるんですよ。</p>



<p>そんなふうに楽しく生きているように見える人と関わっているとこっちまで楽しくなってきて、人生おもしろいなって元気をもらえます。</p>



<p>とはいえ、楽しいばかりじゃいられないときもあります。不確定な先のことを考えたり失敗したりして気持ちがふさぐこともあります。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>そんなときは、どう自分と向き合っていらっしゃるのでしょうか。</strong></h3>



<p>考え方や捉え方を変えて、自分で自分の機嫌を取るようにしています。そのためのアイデアやツールを増やしていくことで、人生が豊かになるのではないかと思います。</p>



<p>私の場合は「その悩み、８０歳になっても覚えている？」と人に言われたことをよく思い出しますね。嫌なことがあったときは「この悩みは８０歳になったらきっと忘れているだろうから忘れようかな」と気持ちが切り替えられるようになりました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>最後に学生へのメッセージをお願いします。</strong></h3>



<p>心が軽くなるような考え方のアイデアやツールを増やしていって、落ち込んだときは、それらを使ってポジティブに思い直してみてください。友人や家族との会話とか、映画とか漫画とか、日常に意外と転がっているので、普段から意識を向けてみることもおすすめです。</p>



<p>あとはやっぱり、気が乗らなくても食わず嫌いをしないでなんでもやってみること。後で何かの役に立つ、と思ってやった方がきっと楽しいですよ！</p>



<h2 class="wp-block-heading">取材を終えて</h2>



<p>考え方をツールとして所有し獲得していくという考え方はそれ自体にも学ぶところがあると感じます。キョウさんの取材も思い出しつつパラレルキャリアの多様さを実感しました。</p>



<p>西澤さん、ご協力ありがとうございました。</p>



<div class="kakomi">
<p><span style="color: var(--body-color); font-family: var(--text-font); font-size: inherit;">西澤　仁美　(にしざわ　ひとみ)</span></p>
<p> 地域おこし協力隊をきっかけに2017年に埼玉県から長野県木島平村に移住。集落支援員として移住の推進や学生連携支援などを行うほか、村を知るきっかけとなった<a href="http://nposolarwatergreen.com/ja/home-in-japanese/"> NPO法人「太陽と水と緑のプロジェクト」</a>の理事、<a href="https://instagram.com/midorinotane_?igshid=MzRlODBiNWFlZA==">商店「みどりのたね」</a>の従業員など複数の活動を行っている。 </p></div>



<p>写真提供：西澤さん</p>
]]></content:encoded>
					
		
		
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		<item>
		<title>目標は一つ、アプローチは無限。私がパラレルな働き方で目指すもの。（株式会社LIFULL）</title>
		<link>https://hanajob.jp/workstyle163/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[星野まりな]]></dc:creator>
		<pubDate>Sat, 12 Feb 2022 03:00:00 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[先輩インタビュー]]></category>
		<category><![CDATA[NPO法人]]></category>
		<category><![CDATA[サービス]]></category>
		<category><![CDATA[パラレルキャリア]]></category>
		<category><![CDATA[不動産]]></category>
		<category><![CDATA[事業開発]]></category>
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					<description><![CDATA[自分の理想や目標を共有できる企業を見つけ、仕事をする。それができたらどんなに素敵でしょう。今回は株式会社LIFULLでそれを実現した龔 軼群（キョウ イグン）さんにお話を伺いました。上海出身の在日中国人であるキョウさんは [...]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="kakomi">
<p>自分の理想や目標を共有できる企業を見つけ、仕事をする。それができたらどんなに素敵でしょう。今回は株式会社LIFULLでそれを実現した龔 軼群（キョウ イグン）さんにお話を伺いました。上海出身の在日中国人であるキョウさんは外国籍の方の入居に関する課題を解決したいという思いを胸に入社。今でもその思いを強く持ち、幅広く活動されています。パワフルなキョウさんの物語をご堪能ください！</p>
</div>



<h2 class="wp-block-heading"><b><strong>目標を目標で終わらせない！</strong></b></h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>今のお仕事を教えてください</strong>。</h3>



<p>私は「選択肢の不平等を解消すること」を目標に不動産ポータルサイト「LIFULL HOME&#8217;S」で住まいの選択肢の不平等を解消することを仕事としています。不動産ポータルサイトは不動産会社が所有・仲介する物件情報がひとまとめになっているWebサイトです。</p>



<p>私は中でも住宅弱者※とそういった方々の相談にも親身になって対応してくれる不動産会社や適切に接客するノウハウを持った不動産会社とを繋ぐ『<a href="https://actionforall.homes.co.jp/">ACTION FOR ALL</a> / <a href="https://actionforall.homes.co.jp/friendlydoor">FRIENDLY DOOR</a>』と呼ばれるサービスを企画し、事業責任者として働いています。</p>



<p style="font-size:12px">※住宅弱者・・・様々な理由で大家さんからリスクが高いと判断され、家を借りるのが難しい方々を指す言葉。外国籍の方やLGBTQの方、生活保護受給者だけでなく、高齢者やひとり親家庭、障害者の方なども含まれる身近な社会問題の一つ。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>働く姿勢にとても熱意を感じます。新卒で入社されたとお聞きしましたが、就活の時から不動産に関わりたいと考えていらっしゃったのでしょうか。</strong></h3>



<p>就活当初は「日本と中国をつなげるんだ！」というモチベーションのもとに商社ばかり受けていました。なので不動産関連の会社を受けようとは思っていませんでした。でも「住まいに関する選択肢の不平等」を感じていなかったわけではありません。学生時代に従姉妹の部屋探しを手伝い、外国籍であるというだけでいかに部屋探しが難しいかを実感し、これは問題だと感じていました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>今の会社にはどのように出会ったのですか？</strong></h3>



<p>学生とベンチャー企業をマッチングする企業で開催されたセミナーがきっかけです。そこでネクスト（現LIFULL）の「住まいの領域の不を解決する！」という企業姿勢を聞いて、「この会社なら私の感じている『住まいに関する選択肢の不平等』を解決する仕事ができるかもしれない」と気がついたんです。仕事の概念が変わりました。「社会課題の解決を仕事にすることを理念にした会社」という存在そのものが私にはすごく刺さったのです。</p>



<p>総合商社に行きたくて全落ちした時は本当に路頭に迷ったくらいに落ち込みました。他業種の企業にエントリーシートを送ったら、中国人の採用はしていませんと返ってきたときもあって、めちゃくちゃ悲しかったこともありました。確かに辛かった時期はあるし、とても落ち込みました。でも周りと比較しても仕方ないな、と。ネクスト（現LIFULL）の&nbsp;セミナーに参加してからが本当の就活のスタートでした。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>ネクスト（現LIFULL）と出会ってからどのように動かれたでしょうか？</strong></h3>



<p>ネクスト（現LIFULL）に伺い、外国籍の入居差別問題を解決したいという思いを人事の方に伝えると、人事の方はしっかり話を聞いて共感してくれました。そして「確かにあなたは経験したかもしれないけれど、実際のところはどうなのか」と聞かれました。確かに当時は実態調査がなく、資料もありませんでした。そこで私は直接、地元の不動産会社を回り、外国籍の方に対する不動産会社の対応に関しての実態を調査し、その結果をまとめて提出しました。最終面接の段階ではそれを新規事業の企画として代表にプレゼンしました。他から内定も出ていたのですが、そのときにはネクスト（現LIFULL）の選考に本気になっていました。自分の感じている問題にちゃんと向き合って話をしてくれる企業があるということは私にとってはとても大きいことでした。プレゼンの最後には代表から「おもしろい！応援する！」と言っていただきました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>では、入社後にその事業に携われたのですか？</strong></h3>



<p>新卒のときに挑戦した新規事業立案コンテストで企画は通ったのですが、立ち上げメンバーには加わることができませんでした。入社後は営業部に配属され、まずは社会人として一人前になること、そして目の前の目標をクリアし結果を出すことに集中をしました。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>そこから今のキャリアに辿り着くまでに、どのようなことがあったのでしょうか。</strong></h3>



<p>営業にいた4年間で成果が少しずつ出せるようになり、周囲からの信頼を得て、仕事を任せてもらえるようになりました。でもやはり入社当初の事業立案に加わることができないまま、事業縮小になってしまったことへの悔しさがありました。そして今一度「私は何のために入社したのか、仕事を通じて何を実現したいのか」を自分の原点に立ち戻って考えてみると、「事業を自分でつくれるようになりたい」という思いが強くあることに気づきました。そこで、プロダクトをつくるスキルを身につけるために営業職から企画職に転身しました。企画ではアプリの開発や国際事業部でのサイト立ち上げなど、さまざまなプロダクトやサービスの開発を経験しました。そして住宅弱者の課題に再チャレンジしたいと考え、改めて新規事業立案コンテストに応募し、自分の手でACTION FOR ALL / FRIENDLY DOORの事業を立ち上げることになりました。</p>



<h2 class="wp-block-heading"><strong>会社でもNPOでも同じ課題に取り組むパラレルキャリア</strong></h2>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>NPOでも代表をされていると伺いました。どのようなことをされているのでしょうか。</strong></h3>



<p>認定NPO法人 Living in Peaceでは「すべての人に、チャンスを。」というビジョンを掲げ、機会の不平等を通じた貧困削減を目指して活動しています。難民の方々への就労と自立の支援、社会的養護の子供たちの進学・キャリア支援、途上国を中心に金融アクセスを広げる取り組みなどさまざまな切り口で活動していますが、私にとってのゴールは同じです。機会の不平等が貧困を産んでいるという現実がある中で、「機会の不平等を是正していくこと」を目標に、住まいの領域はLIFULLで、教育や就労・キャリアの領域はNPOで取り組んでいます。</p>



<p>私は「FRIENDLY DOOR」の事業責任者でありNPOの代表でもあります。パラレルキャリアで自己実現をする、自分の人生をかけてやりたいことを実現する選択肢にこういった方法もあるのだということを、これからキャリアについて考えている人たちに&nbsp;是非知っていただけたら嬉しいです。そして自分がそのモデルとなって伝えていけたら良いな、と思っています。</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>パラレルなキャリア形成をするにあたって大切なことはなんでしょうか。</strong></h3>



<p>まずは社会人としての一歩を踏み出してみてください。ちょっとでも興味のある業界や職種の中で、自分のことを理解しようとしてくれる人や場所を探してみてください。社会人として働いてみると、おのずと自分の得意不得意などがわかってきます。そのときになって興味関心が別にあると気づいたのなら、そのタイミングから新しいことをはじめてみればとよいと思います。最初からあれもこれも、だとパンクしてしまうので、社会人に慣れたところで自分の好きなことや興味のあることに時間をちょっと費やしてみてください。</p>



<p>営業時代は怒られるくらい残業をしていた私ですが、今はNPOの活動を両立させるために本業の残業は最小限にしています。今日やるべきことと明日でもよいこと、物事の優先順位づけが上手になり、この仕事は他の人に渡すなど取捨選択も早くなりました。パラレルワークをすると、時間の使い方が鍛えられていきますよ！</p>



<h3 class="wp-block-heading"><strong>興味のある業界や職種</strong>&nbsp;<strong>、理解してくれる人や場所はどこかと探している学生も多くいると思います。そんな女子学生へのアドバイスやメッセージをいただけますか。</strong></h3>



<p>とにかく動くことです。特に、自分の関心事と関連する人を見つけ、会いにいくのが私のおすすめです。まずはネットで調べてみてください。たいてい誰かしらがセミナーやワークショップをやっているのでそこに参加してみてください。NPOだったらボランティア参加したり、見学させてもらうのもよいでしょう。</p>



<p>そうやって動いていく中で「これだったらこの人を紹介するよ」と人との繋がりが広がっていきます。オンライン化が進み、「いいセミナー見つけたけどアメリカ！参加できない！」みたいな事態は減りました。今、インプットはとてもやりやすい時代だと思います。その一方で、会えなくてもいろいろできてしまうために人と会うことが難しくなっている面もあります。パンデミックの収束後、オフラインとオンラインがどう混ざりあっていくのかはわかりません。それでも私は自分から積極的に人と出会うことは大切だと思います。社会は人が集まってできているので、いろんな人に触れてみる。あ、この人合わないなみたいなということも、もちろんある。でもそれでいいんです。どんな出会いも自分の行動から生まれます。まずは調べてみてください。すべてはそこから始まります。</p>



<h2 class="wp-block-heading">取材を終えて</h2>



<p>落ち込んでもまた前に進む。行動をやめない姿勢、その上にある龔さんの姿はとてもかっこよく、勇気をもらえました。私も今ある熱意を大切にオフラインとオンラインを使い分けて行動力を上げていきたいと思います。龔さん、とても楽しい取材をありがとうございました。</p>



<p>写真提供：龔さん</p>



<div class="kakomi">
<p><a href="https://lifull.com/"><b>株式会社LIFULL</b></a></p>
<p>LIFULLは「あらゆるLIFEを、FULLに。」をコーポレートメッセージに掲げ、個人が抱える課題から、その先にある世の中の課題まで、安心と喜びをさまたげる社会課題を、事業を通して解決していくことを目指すソーシャルエンタープライズです。主要サービスである不動産・住宅情報サイト「LIFULL HOME&#8217;S」をはじめ、空き家の再生を軸とした「LIFULL地方創生」、シニアの暮らしに寄り添う「LIFULL介護」など、この世界の一人ひとりの暮らし・人生が安心と喜びで満たされる社会の実現を目指し、さまざまな領域に事業拡大しています。</p>
<p> </p>
<p><a href="https://www.living-in-peace.org/"><strong>認定NPO法人Living in PEACE</strong></a></p>
<p>機会の平等を通じた貧困の削減を目指して、子ども・難民・マイクロファイナンスの３つのアプローチで活動している認定NPO法人です。<a href="https://note.com/lip_kodomo/m/maabbaeb2cc9c">認定NPO法人Living in PEACEマガジン</a>からはLIPラヂオの時間というラジオ番組が無料で配信されています。そこからも龔さんのお話を聞くことができます。10分ほどで聞きやすいのでぜひ聞いてみてください！</p>
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		<title>【社会人若葉マークのわたし】新生活でも非常事態でも力強く、自分らしく！</title>
		<link>https://hanajob.jp/wakaba11/</link>
		
		<dc:creator><![CDATA[星野まりな]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 01 Jul 2021 03:00:52 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[新社会人レポ]]></category>
		<guid isPermaLink="false">https://hanajob.jp/?p=10615</guid>

					<description><![CDATA[]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[
<div class="kakomi">
<p style="text-align: left;">社会人1〜2年目の先輩たちにインタビューする「社会人若葉マークのわたし」。<br />今回は就活レポでもその経験を語ってくださったRisakoさんにインタビュー。地域の社会問題の解決を目指し文系からシステムエンジニアとなった彼女の価値観に迫ります。</p>
</div>
<h2 data-tadv-p="keep">今も変わらない自分の強み</h2>
<h3>入社した理由と今のお仕事を教えてください。</h3>
<p>大学では人文系の学問を学んでおり、そこで感じた「社会課題を見つけ研究することはできても解決できない」という歯痒い思いから、社会課題の解決につながるシステムを作ることを期待してIT企業に入りました。その会社で大都市向けのシステム開発をしています。</p>
<h3>文系とお聞きしましたが何を売りに就活に臨みましたか。</h3>
<p>面接で長所を聞かれ「私の強みは相手の考えを言語化することです」と答えました。一見システムエンジニアに関係なさそうな能力ですが、先方が抱えている言葉にできない問題や課題を引き出して言語化し、相手が求めている以上のシステムを提供するというのは、実はより良いサービスを提供する上で必要不可欠な能力なんです。 理系出身の方は技術的なことへの興味関心が強い一方で社会課題に目が向きづらい傾向にあると思います。文系出身の方など、技術とは関係のない知識や視点を持った人がそこに入ることでビジネスの視野が大きく広がります。</p>
<h3>社会人となった今の強みはなんだと考えていますか。</h3>
<p>「わからないからないことをわかるまで聞く力」です。なんとなくわからない、どう質問したらよいのかがわからない、というのは誰にでもあることだと思います。それを言葉や文字、図といった形にできること、質問できるところまでそのモヤモヤを消化できることは私の強みです。</p>
<h2>いつまでも「意思」のある人でいるために</h2>
<h3>大学と会社で違うことはどういったところでしょうか。</h3>
<p>大学と会社の大きな違いの一つはモチベーションの方向性だと考えています。私のモチベーションは社会課題を解決したいという思いですが、自分の技術を活かしたい、自分が誇る会社をもっと大きくしたい、出世したいなど、働くモチベーションは人それぞれです。それに引きかえ、大学の先生たちにはそれぞれ専門領域があります。それは社会問題を学んでいた私の場合であれば、対象や方法はさまざまでも当然どこかで社会が抱える問題につながっていました。会社とは全体のモチベーションの統一感が違うと思いました。</p>
<p>今、会社には自ら課題を見つけそれを解決するシステムを作る積極的なビジネスに対する動きがあります。社会問題を解決したいという意思のある人物がきっと必要になると信じて私は自分のモチベーションを大切にしています。</p>
<h3>モチベーションを維持するためにやっていることはありますか。</h3>
<p>首都圏に住んでいるので、地域社会の社会問題とは無縁の生活をしています。問題を忘れるのはとても簡単です。それでも私を引き止めるのは日々の記事や雑誌、論文です。読むだけで悲しくなるようなニュースや深刻な情報をあえて意識的に取りに行き、怒りや悲しみを感じる。それが私の中の解決したいという強い意志を呼び覚まして、モチベーションの維持につながっています。</p>
<h2>非常事態でも一心一意</h2>
<h3>入社の年にパンデミックとなりました。オンラインで始まった新生活で意識していたことはありますか。</h3>
<p>やはり一番は考えを言葉にすることです。研修は全てオンラインでした。初対面の顔が見えない集団の中で勇気を持って発言や提案をすることは大切だと思いました。</p>
<p>普段なら講師の方は研修生の表情や仕草をなんとなく伺って声かけをしたり助言をしたりできますが、オンラインにはそういったことが難しく、自分で自分の置かれている状況を伝える必要があります。私は意識的にモヤモヤしていることを言葉にして自分の欲しい回答が得られるまでそれを根気よく続けるようにしていました。「ちょっと待ってください」「やはり昨日のこの部分の説明が理解できません」といったふうに。こうやって助けを呼べば講師の方はその都度ちゃんと応じてくれます。</p>
<p>新たに良い聞き手になることも意識するようにしました。コメントやスタンプなど可能なリアクションを駆使して他の仲間が喋りやすい空間を作る。積極的な質問や提案でお互いに高め合える空間になるよう意識しました。雰囲気の助けがない中、自分が置かれている状況の報告を欠かさないことは効率的で信頼できる仕事につながります。オンライン研修は考えを深掘りし言語化することの大切さをより意識させてくれました。</p>
<h3>私はいざリアルで初めて登校するに当たって不安もありました。今は稀に出勤することもあると思います。初めての出勤に不安はありましたか。</h3>
<p>はい。ありました。私たちの世代の大変なところはリアルな新生活とオンライン上の新生活の二つの環境に同時に慣れなければいけないところです。会社の先輩方にとって出勤は「普通」に戻ることですが、新社会人にとっては「普通」ではありません。例年の新生活の不安も消化する必要があります。学生、社会人問わず新生活の不安は授業や仕事そのものではなく、それ以外の小さなことにあったりすると思います。</p>
<h3>その中で意識したことはありましたか。</h3>
<p>自分の考えを深掘りすることです。まずは慣れること。こればかりは経験に勝るものはありません。その上で自分の考えを深掘りすると新しい環境に慣れやすくなると思います。慣れなくても気持ちが少し楽になります。「嫌だ」「行きたくない」そんな漠然とした感情を、ではなぜ自分は今そう感じているのだろう、と一度冷静に考える。すると意外にちょっとした工夫で負担が軽減したり、自分の嫌なものが明確になることでその出来事の前後に自分で自分を気遣ってあげられるようになったりすると思います。</p>
<h3>それでは最後に恒例の質問です。今、社会人として何分咲きだと考えていますか。</h3>
<p>まだ二分咲きです。一年間、社会人を経験して今までできなかったプログラミングができるようになったり、会社や仕事の用語がちゃんとわかるようになりました。社会人一年生としてしっかり頑張れた、それでまず一分。二年目に入った現在も今やるべきことを頑張れていると思うのでもう一分、合計で今は二分です。 まだまだわからないことも多く、正直、自分がやりたいと思っていた仕事をできているわけではありません。でもこれからもっと学んでいって、自分が進む方向を自ら変えていけるように頑張りたいと考えています。私は二年目で可能性もいっぱいあると信じています。今の会社や仕事に必要以上にとらわれず、自分が実現したい社会に向けて自分ができることを探し続けたいと思います。</p>
<h2 data-tadv-p="keep">インタビューを終えて</h2>
<p>考えを深め、言葉にする大切さ。とても説得力がありました。Risakoさんの様にどんな時もどんな場所でも力強く自分らしくありたいものです。</p>
<p>自分の考えを深めることに慣れていない人もいるのではないでしょうか？不安を感じた時、ただ自分を不甲斐なく思うのではなく自分自身に相談し、友達の相談に乗るようなつもりで考えを深めてみるとRisakoさんの様に前を向いて生活できるかもしれません。</p>
<p>Risakoさんの就活レポも気になる方はこちら！</p>
<p><a href="https://hanajob.jp/syukatsu-repo-45/">【就活レポ】 「人々の暮らしをよくしたい！」 その気持ちを軸につかみ取った内定(IT)</a></p>
<p> </p>
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