与えられたところで夢中になってやることが、結局その人の可能性を拓いていく。(千葉県知事)

0

この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。

とても柔らかくやさしい口調で話してくださった、堂本千葉県知事。
お会いするまでは、強い女性というイメージがあったのだが、その印象は一瞬にして変わった。

なんと、学生時代の夢は「子どもが6人いる、専業主婦」!
ところがひょんなことからTBSに入社し、30年間ジャーナリストとして活躍。
さらに政治家に転身し、千葉県知事へ。その過程でどんなことがあったのだろうか?

将来に悩む女子学生にとって、示唆に富むお話をたくさん聞くことが出来た。
今回は特別企画で前編後編に分けて、掲載。お楽しみに!!

「専業主婦が夢」の学生時代からTBSに入社するまで

学生時代から現在までの道のりを教えていただけますか?

私のところへ取材にくる記者の方の99%から「いつごろから政治家になる志があったのですか?」と質問されるのですが、元々は政治家になるつもりなんてなかったのです。大学を卒業する前に友人たちと「将来何になりたい?」という話になったのですが、それぞれ「放送局で勤めたい」とか「弁護士になりたい」とか「結婚しないでずっと働いていく」とか色々な意見があった中で私は、「早く結婚して6人子供が欲しい」と言ったんです。そんな感じだったんですよ。

それは知らなかったです。「良妻賢母」ということですか。

良妻賢母なんて思わなかったけど、賑やかなお家って良いなあと思ったんですよ。「自分が1人っ子だから子どもは6人」なんていう単純な発想。実のところは、そのとき自分の職業観を持っていなかっただけなのです。できれば学問を続けたかったのだけれども、残念なことに、私は父がおらず、ちょうど母が失業して経済的に働かなきゃならない状況だったのです。だから夢を持つというよりも淡々としていたし、自分で「何になりたい」という志を持っていなかったのですね。

そうなんですか!

本当は若い頃から自分のキャリアについて計画を持っている方がいいですよ。高校生ぐらいから人生設計を考えている人もいるから、いま大学生の方もその方がいいとは思います。
私は漠然とした将来像しかなかったけど、あえて言うなら研究者になりたかったんです。マックス・ウェーバーを学んでいて、そこから文化人類学に興味を持ったのですが、当時、人類学を学ぶには都立大くらいしかありませんでした。それでまず聴講生として都立大に行くことにしたのです。

ただ、私も食べていかなきゃならないので、アメリカ大使館で仕事をしていました。幸い、都立大は夜学があるから、大学には夜通いました。その後、TBSで働くことになったのですが、入社してからも、ある時期までは通い続けていました。

TBS入社の経緯を教えてください。

それが、すごく不思議なのですが・・・ちょうどTBSが創業のころ、昭和29年くらいに『婦人ニュース』というのが始まりました。それでTBSが女性キャスターを探しに、女子大学だけでなくあらゆる学校へ尋ねて来たそうです。私はすでに卒業していたんだけど、先生の何人かが「堂本さんがいい」と言っていたそうで、それである日、突然「試験を受けに来てくれませんか?」とTBSから電話がかかってきました。

すごい転機ですね!

行ってみたら、けっこうな数の人が試験を受けることになっていました。筆記試験やら、インタビューやら、いろいろ受けて、だんだん人数が減っていくのが分かりましたが、私は自分の結果にだいぶ手ごたえを感じていました。実はアメリカ大使館では、アルバイトでラジオ番組を作っていたのです。毎日、新聞の切抜きをするので、ほかの人よりも時事にはとても詳しくなっていたし、インタビューされても右から左へ答えられたのを今でも覚えています。これは受からなかったらおかしいなと思ったくらいです。

アルバイトでの経験が役立ったんですね。

友人には「あんなに文化人類学をやりたいと言っていたのに、テレビ局なんてまったく違うじゃない」と言われて、やっぱり受け身で仕事なんて選んじゃいけないのかもしれないなあって私も考えました。考えた末、お断りするつもりでTBSへ向かったのだけれど、そこで「あなたに決めました」と言われたのです。人間って奇妙なもので、大勢の中から選ばれると、なんとなく捨てるのはもったいないと思う。一瞬、頭の中で「どうしようかな」と迷ったのだけど、次の瞬間「よろしくお願いします」と言ってました。

自分に隠された才能を他人が気付いてくれることもある

TBSではどんなお仕事をされていたんですか?

実は、入社してからも未練がましく夜は都立大へ通っていました。自分の生涯としてはどっちを選ぶのがいいかなと思ったりして。勉強しはじめてみたら、ほかの学生はロシア語とかドイツ語とかできる人もいて、すごく進んでいるんです。私は「アメリカへ行って集中して勉強したほうがいいかな」と考えて、実際に準備も始めていました。ある日、会社の人に「本当は留学したかった」って話をしたら、「まずは社会人1年やってみて、やっぱりどうしても学者になりたかったらそれから辞めてもいいんじゃないの」と言われました。

ずっと夜学に通われたんですか?

試験は昼間だから、試験の日には休みをもらっていました。ところが、1957年10月4日の試験当日、都立大の駅にいたその時に「ロシアが衛星を飛ばす」っていうニュースがあって。試験に行くべきか会社に行くべきか迷って・・・そこで会社に電話かけたのが間違いで、「どうしましょうか」と聞いたら「いったいどこでなにボヤボヤしてるんだ」と言われて「はい!」ってすぐ電車に乗っちゃった。それきり試験は受けられなくて、このときに、報道の仕事をするなら大学に行くのは無理だな、と思ってあきらめました。

それはだんだん報道の仕事が楽しくなってきたからですか?

今になってわかることは第三者、つまり大学の先生が薦めたということや、TBSの人が私を選んだということも、向いている仕事を見つけるために必要だったということ。自分じゃなくてほかの人から見て、その分野に私は「向いている」と思われたってことよね。

自分では気付かなかった才能というか。

そうね、自分が思っている自分とは、違うところに自分の才能や能力があって、ほかの人がそれに気付く。そういうことが、時としてあるんですよね。あの場合が完全にそうだった。実際、働きはじめたら、ものすごくおもしろくなって、数ヶ月経つと、とてもやりがいを感じていました。それからどんどん夢中になって仕事していったんです。

辛くても覚悟して取り組み続けた仕事が、法律改正につながった

いろいろな仕事に取り組まれたと思いますが、具体的にひとつ教えてください。

入社以来、カメラマンをしたり記者クラブに行ったり、報道の中で経験した仕事は、どれもこれも退屈しなかった。私は何かひとつ疑問を持つとのめり込む癖があってね。40代になってからのめり込んだのが『ベビーホテル』の仕事だったのです。

投書がきっかけだったと聞いていますが。

そう、投書がきっかけで行ってみたら、これはなんか・・・最初のベビーホテルで子供を見て、車に乗った次の瞬間「これすごく深い文明的な問題があるような気がする」って言ったら、カメラマンも「僕もそう思う」って。感性の優れた良い仲間に恵まれていたのね。上司にも恵まれていた。「1ヶ月間ベビーホテルの実態調査をさせてくれ」と言って、私たち5人のスタッフはほかの仕事から完全に外してもらいました。

社外からは賞をもらったり、評価をいただいたりしたけれど、社内では「なんだあいつら、保育園のなかで変なことやって」という感じだった。行政じゃないのにそんなことをして、と。

それでも続けられたのは、デスクが偉かったんです。上層部からは年中「あんなのは辞めさせろ」と言われていたのを頑としてやめさせなかった。市川房枝さん(婦人運動家/政治家)に「数字がなきゃだめよ」と言われ、とにかく国会を説得しないと法律は変わらないから、調査報道をやりました。名調査マンに協力してもらって、非常に興味深い数字をどんどん出していったんです。

やりがいがありそうですね。

だけど、私たちの方もかなり疲労が重なっていた。子供を撮影するから低い姿勢が多くて厳しく、とうとうカメラマンが立てなくなって、もう無理だと思って、逆に自分から「辞めましょうか」とデスクのところに行きました。そうしたら「いま辞めたらこのキャンペーンはだめになるよ」と一言。それで局の玄関下りて「もう辞められない、私たちは」ってみんなに伝えた。スタッフは覚悟していたようで、それからは誰も愚痴を言わなくなった。みんな辛いのよ、夜中の仕事だから。辛いんだけど我慢して・・・

そうこうするうちに、厚生省の人が「TBSの作品を見せてください」って会社に来て、私は「勝った!」と思った。なぜ厚生省が来たかというと、国会で次から次へと質問が出始めたんです。当時はビデオなどなくて、新聞やビデオと違って放送を見逃したら分からないものだから、見に来るしかないわけです。局長以下が会社へ来たときは「しめた」と思いました。それで変わるんですよね。

新聞のキャンペーンで法律が変わることはあるけど、テレビでは新聞にある連載記事みたいなニュースがありませんでした。それが、このキャンペーンをやり始めた翌年の6月の通常国会で、児童福祉法が30年ぶりに改正されたんです。

各党から立候補の誘いがあったけれど・・・

それが、政治の世界へのきっかけとなったのでしょうか?

このキャンペーンのとき、数字を持って「法を改正して欲しい」と言って自民党から共産党まで、各党を駆けずり回ったんですよ。そしたらそれを見ていた人たちが「こいつは政治家に向いている」と思ったみたいで。ですから、最初の「選挙にでないか」というお誘いは、自民党と民主党と当時の社会党と3つの政党からでした。でも私は「冗談じゃない。仕事が軌道に乗り始めて、やっと好きなテレビの仕事ができる雰囲気になってきたときに辞められるもんですか」と思ってお断りしたの。

みなさん、納得してあきらめてくれたんですか?

どういうわけか、3年ごとに立候補しないかって誘いにくるわけです。仕事では脂の乗っていた時期なので、いろんなものを作っていて、だからお断りするのだけど、3年経つとまたお誘いがある。それで最後に声をかけてきたのが、土井たか子さん。すでに7人くらいに断られていたそうですが、私も最初は断ってしまいました。

そんなとき、天安門事件がありました。通常、海外の急な出張には若い人が行くのだけど、なぜかそのときは誰もいなくて、私が行くことになって、それで飛行場から「色々お誘いいただいているけれど、私これから中国の取材に行くので、あきらめてください」というFAXを土井事務所へ送って出かけました。

香港で目にした人間のパワー

香港に着いたら、100万人のデモでした。あれは凄かった。人間が自由を求めるってことはどういうことかというのを間近で見て・・・本当にゾクゾクしました。それこそ、5~6歳の子供もゼッケンつけているし、おじいさんもおばあさんも杖ついて出てくるし。もう、通りという通りは人で埋まっているわけで、人間のパワーというか、日本では感じられない何かを感じて帰国しました。

その放送が終わって部屋に帰ったら「土井さんから電話」って。なにかと思えば「まだあなたの返事を待っているの」と言われて、ビックリ。この時もTBSの時と同じね。1秒ぐらい考えて「検討してみます」と返事をしたの。

「受け身」ではなく「天命」で進んできた

以前はインタビューされると「きっかけは受け身だったんですよ」と言っていたのですが、最近は「受け身」という言葉は使わないようにしています。というのも、テレビで『大河の一滴』の五木寛之さんが「自分は自ら何かに突き進んできた人間だ。だけどすべて天命だと思う」と言うのを聞いて、「ああ、そうなんだ」って思ったから。

私の場合、自分の人生の大きな転機は、TBS、国会議員、そしてこの知事選で3回目です。自分からは突き進まなかったけど、なんか道があって、それが天命で・・・「受け身」という言葉よりずっといい言葉だと思う。だから「天命」として進んでいるんだと、最近はとても素直に思うようになりました。

知事になられたのも「天命」だと。では、それまでの経験がいま役に立っているのでしょうか?

会社で30年働いて、そのあとの50代以後に立候補したのだから自分は政治家としてはかなり奥手だと思う。でも、TBSでのジャーナリストとしての30年間と、国会議員の12年間の経験がなかったら、こんな難しい時代に知事はできませんでした。しかもラッキーなことに、私には野党と与党どちらの経験もあるから、霞ヶ関や永田町の多くの人が私のことを知っています。不思議なことに、国会議員のころ激しく議論を闘わせた人に限ってよくしてくれたりするんですよ。

仕事によって「人間」は拓かれる(ひらかれる)

だから私の人生そのものが言ってみれば天命的なところがあるのかなと思っています。でも、結局いつもみなさんに聞かれるのよね、「いつから政治家を志したんですか」って。

(笑)はい。聞いてしまうところでした。

そういう人もいるかもしれない。最初から政治家を志したり、ジャーナリストを志したり、バイオリニストを志したり。志すことも大事だと思う。でも志がないからといって、あんまり不安がらないほうがいいと思う。与えられたところで夢中になって一生懸命やることが、結局その人の可能性を拓いていく、そういうことかなと思いますね。「仕事が人を拓く」ってことは間違いなくあるから。

堂本さんもTBSで夢中になって動いたことが、現在へ繋がっていますものね。

就職に関して言えば、私の場合、比較的みんながいいと思うところにスパッと就職できたから、例外かもしれない。ただ、そういうコースだけが、最適な仕事の場かといったらそうじゃない。たとえば、女性だとキャスターになりたい人などは多いけど、最初から道を決めることもない。また、放送だとか新聞だとか、大手の会社に入ることが良いことだと考えなくてもいい、そう思いますよ。

自分で可能性を狭めるべきではないですよね。

これからは、自分で仕事をクリエイトするってこともすごく大事。焦らないで仕事をしているときには、とてもいい感性で仕事ができるし、そうすることによって道は拓けてくる。特に女性の場合そういうことが多いかも知れない。私は政治家になろうなんてまったく思っていなかったけれど、積極的に「どういう道を切り拓いていくのか」と考えていくのはとても大事なことだと思います。

女性自身も考え方を変える必要がある

まだまだ女性が活躍できない現状がありますよね。社会、企業、それから女性自身がどう変わっていくといいと思いますか?

やはり世の中全体が変わらなきゃダメです。いくら女性だけが努力しても「女は家庭に帰れ」みたいな専業主婦的なことを男性が思っているあいだは難しい。一方で、女性自身も変わらないと。たとえば、子育ての段階から、自分自身の考え方や発想自体を大きく変えていかないとダメじゃないかと思いますね。

自分の子供から変えていくとなると時間がかかりそうですよね。

でもね、それはとても大事なことですよね。会社や社会の中でも同じ。男性と女性を平等に教育してないと思う。県庁でも、女性が妊娠・出産して戻って来ると、とても楽なポジションに置きがちです。創造性の発揮できるような、あるいは人を大勢使うようなところに配置しない。というか、そもそもそういうところに配置できるように、女性を育てていないということもあります。また、そこのところで、女の人も安住しちゃうとダメですよね。

女性だけではなく、世の中全体で変化が求められているのですね。

信じられないほど日本はそういう変化が遅れている。変化が遅れていることで、やっぱりこの国のいろんな土台の基本的なところで力を削いでいるような気がしますよね。もっと男女が一緒に関わってやっていかないと。

21世紀は、本当の意味での「多様な価値観」を目指すべき

最近は「ダイバーシティ:多様性」を軸に変化を進める企業もでてきました。

マネージメントの世界でダイバーシティ・マネージメントっていうのがあります。アメリカで住民権運動のあと、白人だけではなく、黒人とかヒスパニックとかいろんな人種を雇うように決められて、雇わない会社は高額の罰金とられたわけです。だから会社としては、罰金をとられないためにマイノリティを雇用したわけですが、結果として、多様な人種を雇ったほうが成果が上がることがわかってくるわけです。いまの世の中、消費者も多様だから多様な人の発想で物を創ったりマーケティングしたりしたほうがいいってことで、ダイバーシティ・マネージメントという考え方が出てきました。私が千葉県で一番やりたいのは、これは造語ですが「ダイバーシティ・ガバナンス」なんです。

具体的にはどういうものですか?

いろんな価値観、多様な価値観を融合した形での県政運営がしたいのです。
県政運営を下からボトムアップでやるには、みんなが意見言わなきゃいけない。ところが、その意見を言うのが男性ばかりでは、社会全体の声を反映しないわけです。社会全体をみると、女性もいて、高齢者もいて、若いカップルもいて、障害者もいて、外国人もいて・・・そういうのが本当の姿ですよね。

なるほど、確かにそうです。

男性ばかりで考えていてもダメです。男性だけでも、もしかしたら観念的には、高齢者の問題など分かっているかもしれない。だけど、たとえば実際に、どういう障害者がいて、どういう子供たちが虐待を受けていて、どういうことを学校で子供たちが困っていて・・・それらすべて、大人の男性たちだけで分かるかといったら、分からないですよね。

それで「ダイバーシティ・ガバナンス」なんですね。

本当の意味での「ダイバーシティ・ガバナンス」というのは、女性の参加だけではなく、多様なセクターの参加って言うのが大切なのだと思います。だから、まずは大きく「多様な価値観」だと。同じことは国レベルでも言えます。

それから、多様な価値観を認めていくにあたって、差別をなくしていくことも大切です。日本における差別には主に、外国人に対するもの、女性に対するもの、障害者に対するものがありますが、3つともとても強い差別です。大きい柱の1つが、女性に対する差別だと思います。これからの21世紀というのは、そういう差別をなくしていかないと。

長いスパンで見たとき、現状を変えていくのは、私たち女性自身なんですね。
学生時代の貴重な経験から、現在推進されている「ダイバーシティ・ガバナンス」のお話まで、これから社会に出る女子学生の皆さんにも、大変興味深い内容だったと思います。
今日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございました。

インタビューを終えて( ハナジョブスタッフ)

やりたいことが見つからない・・・そう悩んでいるハナジョも少なくないでしょう。
やりたいことが決まっていない人は、色々な仕事ができる会社を選ぶという方法もあります。
目の前の仕事に対して力を尽くすことで、堂本さんのように、仕事を通して才能を花開かせていくことができるはずです。「仕事が人を拓く」いい言葉ですね。
自分には無限の可能性があるのだと、信じるところからスタートしましょう。本当に無限の可能性があるんですから!

Share.

About Author

ハナジョブ学生記者

2008年〜2016年までの学生記者たち

Leave A Reply