彼との未来に向けた選択。海士町からデンマークへ

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大学卒業後、教育系の出版社、そして島根県海士町の公営塾で働いていた的場陽子さん。29才で憧れていた海外留学!留学先はデンマークです。海外での暮らしや学びをデンマークからお届けします!学生時代に留学するかどうか迷っているというみなさん、社会人になってからの留学を選択肢に入れてみては?(第1回目はこちら→『全寮制の大人の学校 デンマークのフォルケホイスコーレと私は出逢った』)

役割でいっぱいだった自分

再びフォルケホイスコーレについて調べ始め、身近な人にフォルケホイスコーレに対する興味を話し始めた時の私は、例えるなら水がいっぱい入った水風船のような状態でした。当時の私は3つの役割の自分をどう両立させようか、で頭がいっぱいだったのです。

「娘」としての自分

1つは「娘」としての自分。2人姉妹の長女の私は、1人っ子の母親と長い間精神的にとても近い関係にありました。

結婚したらこれから離れて暮らすことになる。だから今までできなかった「親孝行しなきゃ」という想いがあり、母の悩みを聞き、当時バラバラに暮らしていた(父親は長く単身赴任)家族の潤滑油のような役割を担おうと気負っていました。

「職業人」としての自分

2つは「職業人」としての自分。海士町での仕事はとても自分に合っていて、やりがいを感じていました。

生徒と日々接し彼らに寄り添えること、地域の人と話したりしながら四季を感じた暮らしができること、自分がしたいと思ったちょっとしたイベントなどができる環境は、私にとってとても肌に合っていたのです。

しかし、いつも「やりたいこと」と「やらなければいけないこと」と「やったほうがいいこと」に追われているような感覚も。どれが自分の本当の意思なのか、どれが周囲の期待に応えようとしてつい背伸びしてしまっているのか、がわからなくなってしまっていました。

「パートナー」としての自分

3つは「パートナー」としての自分。当時彼とは4年半付き合っており、うち約3年は遠距離恋愛でした。今までで一番自分の内をさらけ出していたし、ありのままの自分でいてもいいんだ、と思わせてくれた人でした。

私も実家を継ぐ彼を支えたいと思っていたし、彼の地元の人や家族の人から、「ヨメ」として認められなきゃいけない、そして「的場陽子」としても認められたい、そう強く思い込んでいました。

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島の女子で企画した 冬の女子旅

Not “What can you do?” but“Who are you?”

海士町での仕事を減らしてもらって、徐々に生活場所を変えようとする中で、私はこの3つの両立を保とうとしていたのです。

月の半分を海士町、残りを実家と彼との時間に充てていながら、自分の中に全く余白がないのを感じていました。今思うと、どんどん自分が役割によって侵食されていく、そんな感覚に陥っていたのです。

そんな日々の中で調べていたフォルケホイスコーレ。フォルケホイスコーレの公式サイトに掲載されていた、フォルケホイスコーレがどんな場か、提供したい価値は何なのか、が書かれた部分に私は目が留まりました。

Lifelong Learning(生涯学習)について書かれた段落にあった、この一文。

The intention is to help students to grow wiser both about themselves and about the world.

Only when individuals become their true selves can they fully enter into a living democratic human community.

(フォルケホイスコーレの)強みは、生徒が、自分自身と世界の両方について、より“分かる”ように手助けをすることです。

個人が真の自分となる時だけ、民主主義的な人間社会の生活を完全に送ることができるのです。

度々登場する“themselves”や “True selves”、そして「Not “What can you do?” but“Who are you?”」という問いかけ。これらの言葉に私は、強く惹かれたのです。

“生”のための学校

フォルケホイスコーレができた背景を調べていくうちに、フォルケホイスコーレの特色となぜこのような学校がデンマーク社会の基盤となっているのか、が少しずつ分かり始めました。

フォルケホイスコーレが、他国(北欧諸国以外)で類をみない学校として今日まで至っている理由。そしてその特色は主に以下の4つでした。

試験がない、そして卒業しても単位や資格の付与がない

入学試験、進級試験、卒業試験は一切なく、公的な単位や資格は取れません。(フォルケホイスコーレで自身が取り組んだことを大学などに自己アピールすることはできます。)

誰でも入ることができる

年齢、性別、障害の有無、国籍を問わず、誰でも入学でき、途中で期間を延長することもできます。

教師と学生が寮で共同生活をする

いくら家が近くても原則寮に入ることがルールです。

対話や討論、実践・実習、自己発見に力が入れられている

書物や座学によって技術や知識を習得することに主眼があるのではなく、これから生きる自分の道を探すことが、ホイスコーレが力点を置いていることです。

フォルケホイスコーレは、近代デンマークの父と呼ばれるN・F・S・グルントヴィによって構想され、限られた特権階級や知識人しか通えなかったアカデミックな大学に対抗してできた、「民衆の大学」でした。

グルントヴィは、人々が日々の生活で経験を積み重ねる中で、書物にある言葉や権威者が語る言葉ではなく、一人ひとりの「生きた言葉」で語り合うことを思想の中心として置きました。「生きた言葉」を話すには、相手が必要です。自分とは異なる「他者」とのコミュニケーションを、彼は「相互作用」と呼びました。そしてその相互作用は、対立やギャップのあるところでこそより生じると考えていたのです。

生徒が教えてくれたこと

私は公営塾で仕事をし、生徒たちと接する中で、彼らが自分自身の言葉で「自分の今の状態」を語り始めた時の言葉の強さをひしひしと感じていました。

時に親の期待、周囲の期待、受験へのプレッシャーを感じながらも、少しずつ自分の考えていることを言葉にしていく時、彼らの言葉には生命力がありました。

洗練された言葉でもなく、論理的でなくても、彼らの言葉に私は幾度となく心動かされたり、自分の中でもなにかがうごめく感覚がありました。そんな日々を送る中で、自分は自分の言葉で語れているだろうか、という疑問がふつふつとわいてきたのです。

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公営塾での日々

私が教育業界に入ったきっかけは、中学高校の6年間を自分の意思を持って過ごせなかったことにありました。自由かつ生徒が主体的に過ごせる校風の、恵まれた学校でしたが、当時の私は親の影響を多大にうけ、尚且つそれを跳ね除けるだけの自分が情熱を注げるものもないまま、6年間を過ごしました。

その時の想いが、「人はどういう時にやる気やモチベーションを持ち、自ら学び、生きたいと思うのか」という、今でも続く自分自身の問いかけに繋がっていたのです。

“未来”を見据える中で見落としていたこと

一方で、私と彼との間では、いつ移住するか、顔合わせはどうするか、など結婚に向けての具体的な段取りの話が避けて通れなくなっていました。

私の母は、私が離れていくことや私が彼の実家にきちんと馴染むことができるのか、様々なことをとても不安がっており、結婚に対して前向きではありませんでした。私はそんな母にどこか後ろ髪を引かれる思いがあり、自分自身が抱える漠然とした不安も相まって、なかなか具体的な話を進めることができていませんでした。

けれどもフォルケホイスコーレに関しては、情報を集め、気になる学校の募集要項を見て前向きに検討している私の姿を見て、彼が不安になるのも無理はありません。でも私にとっては当時、結婚に対する心の準備はできておらず、“自分”を確立して準備が整ってから新しい生活を始めたい。そう思っていました。

2人で選んだ1つの決断

そんな最中、少しずつ彼との間に温度差が生まれ始めていました。

彼も実家で仕事を始めて忙しい中、月に1回なんとか会う時は将来の話が中心になっていました。私はできるだけゆっくり進めようとする。彼は、私が海士町に移住してから3年経ち、もう十分心の準備はできているだろうという気持ち。

“今”の想いや考え、私たち自身がどう考えているかを話し合うことより、私は先のことや私の親を含めた周りのこと、に気が奪われていました。

そして2人ともが、将来のことを思い描けなくなった日がとうとう来ました。話し合って選んだというよりも、来るべくしてきた結論だったように今となっては思います。その時は「仕方ないな」という諦めに似た気持ちと、「どこかでまたこの関係が戻るのではないか」という楽観的な気持ちの両方がありました。

別々の道を歩もう、そう2人で決めてから2週間ほどして、私は深い後悔に襲われていました。自分の居場所が急になくなってしまったような、そんな不安に苛まれたのです。やっぱり私には彼しかいない、そんな想いが沸き起こってきて、仕事も母親もおいて彼の傍で居場所をつくりたい、彼をもっとサポートしたいと考え始めました。関係を戻したい、と彼に伝えた時、私が期待していた答えを得ることはありませんでした。彼はこの3年間ずっと待っていて、もう私を待つ気力が完全に失われてしまっていたのです。この時に私は、「あぁ私は“今”を見ることを随分長い間できていなかったんだな」と気づいたのです。私は海士町で働き、自分自身の居場所をつくり、馴染むことに精一杯でしたが、彼との関係においては、“未来”ありきで“今”を考えていたのでした。

お先真っ白な中の道標(みちしるべ)

彼との関係が変わり、私は色々な人に自分の未来が変わったことについて説明すること、自分のこれからの展望について、言葉にすることができなくなってしまいました。私自身もなぜこの結論に至ったのか、それを賢明に分析しようとし、自分の中で現状を咀嚼するのに精一杯な中、私はただひたすら直感に従ってデンマーク行きの準備を進めていました。

次回は、そんな真っ白の中で始まったフォルケホイスコーレの日々の生活と、初めて得た「自由」に戸惑う日々について書きます。

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的場さんが活動しているIFAS(International Folk high school Administration Service)のFacebookページはこちら。→https://www.facebook.com/ifas.japan/

2016年夏にフォルケホイスコーレを体験できる2つのプログラムがあります。
本来は3ヶ月以上しか通えないホイスコーレを体験できる貴重な機会です!

〇8/15-20開催
Nordfynsホイスコーレを中心に、森のようちえん、エコビレッジ、ロラン島をめぐるプログラム
http://ifas.renuplus.com/nordfyns/

〇8/29-9/4開催
Boseiホイスコーレに滞在し、フォルケホイスコーレをどっぷり体験するプログラム
http://ifas-bosei.renuplus.com/

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About Author

的場陽子

兵庫県出身。現在デンマーク在住。自身が受けてきた教育への疑問から、教育分野で働きたいと思い、教育系出版社の編集職、離島の公営塾での指導スタッフとして20代を過ごしました。デンマークのフォルケフォイスコーレにて半年過ごす中で、デンマークに根付く自分を知り個性を伸ばす学びの場づくりと民主主義精神に興味を持ち、それをもっと学ぶ方法を現在模索中です。